等身大の青春◆田渕由美子『フランス窓便り』

私が大学生だった1970年代の中後期、このブログで取り上げているような当時のサブカルチャーに、大きな変化が訪れました。マンガや映画や歌謡曲などに登場する主人公が、それまでの中高生や成人男女から大学生に変わり始めたのです。これは明らかにターゲットを大学生を中心とする世代に絞り始めた結果であり、逆から言えば、大学生という限られた人種が、マーケットに与える影響を大きく持ち始めたからでしょう。

例えばテレビドラマでは、それまで高校生活を舞台にしていた青春ドラマが、大学生を主人公に据えたドラマになり(『俺たちの旅』中村雅俊・田中健・秋野太作主演、1975年10月~1976年10月放映)、その後しばらくこの路線が続きます。映画では、岡田奈々(AKB48にはあらず)・秋野暢子早乙女愛の女子大生3人が繰り広げるドラマ『青春の構図』1976年公開)など。大学生3人組が殺人事件に挑む栗本薫の推理小説ぼくらの時代が江戸川乱歩賞を受賞したのは1978年のことでした。特にこの傾向が顕著だったのは、音楽界です。いわゆる〈四畳半フォーク〉は、具体的に歌詞にはないものを含め、そのほとんどが大学生と思われる男女の仲を歌っていました。ガロ学生街の喫茶店」(1972年)や、あべ静江のデビュー曲コーヒーショップで1973年)に登場するのはどう考えても大学生でしょうし、太田裕美恋人たちの100の偽り松本隆作詞、1977年)にいたっては、「卒論がすむまでは逢えないという……」のフレーズがあります。

そして、マンガです。マンガでは、もう一歩、進んでいました。まだ少年向け週刊マンガ雑誌の多くが、高校生のスポーツものや番長との対決ものを連載し、友情・努力・勝利を全面に打ち出していたこの時代にあって、女子大生を主人公にした、どこにでありそうな、誰にでも訪れそうな、等身大の恋愛マンガを掲載していたのです。

月刊少女向けマンガ雑誌『りぼん』の1976年6月号から8月号まで、3回連続で掲載された田渕由美子『フランス窓便り』当時、ブームとなりつつあった〈乙女チックラブコメディー〉の一つとジャンル分けされるのでしょうが、白いペンキ塗りのフランス窓のある小さな一軒家に下宿している3人の女子大生、川島杏・欧見苗子・柘植詮子の、現実の大学生活と何ら変わりないようなキャンパス・ライフを描いています。もっとも、3人が地方の高校で同級生だったことは明らかにされていますが、なぜこんな豪華な下宿生活が送れるのかなどは描かれていませんが……。

末っ子的な位置づけの、引っ込み思案で一見したところ高校生にしか見えない杏。行動的な個性派タイプでタバコぷかぷかの美大生、苗子。ストレートヘアで落ち着いたお姉さんタイプの詮子。3人が体験するキャンパスでの恋愛は、どれもがハッピーエンドに終わるのですが、私は苗子と重太郎のエピソードが一番好きでした。

片思いの帆苅くんではなく、その親友の重太郎にプロポーズされて困惑する苗子。苗子の迷惑など無視してアッタクを繰り返す重太郎は、苗子からタバコを取り上げると、「前から言いたかったんだけど/オレ大キライなの/タバコすうオンナ」と一言、。カーッとした苗子は、「タバコをすうオンナがきらいなら/タバコすわないオンナにプロポーズすりゃいいじゃない」と啖呵を切ります。その後、重太郎の本当の優しさを知った苗子は、朝のキャンパスで出会った重太郎に「おはよ」と声をかけ、別の教室に向かう重太郎に向かって、

「あんね――/あたしタバコ/やめることにしたんだわ」

と、宣言すると、パタパタと走り去っていきます。この可愛らしい愛の告白! 

私のまわりにも、杏のような少女も、苗子のようにタバコを吸う個性派も、年上と見間違うばかりの詮子のような大人びた女子大生も確かにいました。このマンガに描かれたキャンパス・ライフには、基本的にウソはありません。でも……。当時、早稲田大学に通いながらマンガを描いていた作者もおそらくはそうであったように、この愛すべき物語は、あり得たはずの、しかし同時に、一度もあったことのない、夢のようなキャンパス・ライフだったのではないでしょうか。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

■セリフの履歴

出典:『フランス窓便り』(田渕由美子作画、『フランス窓便り』〈『SGコミックス』〉所収、集英社、1990年)

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祈りは届いたのか◆石森章太郎『サイボーグ009』

石森章太郎の代表作『サイボーグ009』。今さら説明するまでもなく、1964年の連載開始から死の直前まで、多くの雑誌に発表場所を移しながら描き続けられた、誰もが認める石森章太郎のライフワークと言える長編マンガです。

調べてみると、最初の掲載誌は『週刊少年キング』1964年7月19日第30号。当時、小学校4年生だった私は『週刊少年サンデー』派だったので、おそらく友だちから借りて飛び飛びで読んでいたのでしょう。それでもその面白さは群を抜いていて、たちまち009ファンになってしまいました。

それまでの少年マンガのヒーローは、古くは月光仮面、伊賀の影丸はもちろん、鉄腕アトム、鉄人28号もそのほとんどが個人ヒーローでした。それが『サイボーグ009』は、いちおうは009こと島村ジョーが主役級の扱いは受けているものの、いざ戦う際は001から009までの9人の力を合わせての集団戦が原則になっていました。石森自身は後年、9人で1チームの野球チームからヒントを得たと語っていますが、この団体ヒーローという設定は、おそらく日本のマンガで初めてだったのではないでしょうか。加えて、9人それぞれのバラエティ豊かな設定の妙。国籍、性別、年齢を異にする9人が、それぞれの過去を背負いながら、特化された能力を駆使して敵と戦う(それも常に人体改造された運命を呪い、悩みながら)。確かに同時期に手塚治虫の『白いパイロット』がありますが、こちらはヒーローは複数でも個人技で戦うことはなく、皆でスーパーロケットに乗って戦うという全く違う設定です。

みずからの肉体を改造した死の商人「黒い幽霊団(ブラック・ゴースト)」と戦い続けるサイボーグ戦士たち。サイボーグ研究所からの脱出とブラック・ゴーストとの決別を描いた「誕生編」に始まる彼らの戦いは、ブラック・ゴーストからの刺客との戦い(「暗殺者編」)、舞台をベトナムやギリシャに移した「ベトナム編」「ミュートス・サイボーグ編」を経て、最終決戦「地下帝国ヨミ編」に受け継がれていきます。

『週刊少年マガジン』1966年7月10日第27号から若干の中断をはさんで、翌67年3月26日第13号まで連載された「地下帝国ヨミ編」は、石森章太郎が文字どおり全身全霊を傾けて描き切った名作中の名作であることは間違いないでしょう。終了後も、読者や版元の要求で長く『サイボーグ009』は続いていくのですが、その後の作品がインサイド・ストーリーにすぎず、誤解を承知で言うならば、石森のご隠居芸にすぎなかったと思うのは私だけではないでしょう(ともに中断したままの「天使編」と「神々との闘い編」は別格)。特に死後、近親者の手で発表された「完結編」の酷さは目を覆うばかり。天才でもその才能は枯渇していくという悲しい現実をつきつけられました。

地上から地下へと延々と続く、サイボーグ戦士たちとブラック・ゴースト、そして地底国住民との三つ巴の戦い。とにかく面白いのです。大人になった今、あらためて読み返してみますと、構成の破綻など瑕疵は見られるものの、スピード感あふれるストーリー展開、ロングとアップ、コマ落としなどの映画的手法を駆使した画面作り、大胆なコマ割りなどに石森章太郎の才能が開花しています。何より悪役も含めて登場人物一人ひとりの描き分け、性格付けがみごとになされ、単なる戦いものの枠を越えているのには驚かされます。全編を貫く009とヘレン、004とビーナの恋。ニヒリスト004が初めて見せる人間らしい感情。成層圏に向かう002の格好良さととともに、主役を食う名演技でしょう。全身ウロコ状に再改造された008の苦悩、寡黙な005、最後に大活躍を見せる001、コメディ・リリーフとしていい味を見せる006と007。そして、胸に秘めた009への思いを口にする003。群像劇としても完成度は高いものになっています。

決着をつける最終章「地上(ここ)より永遠(とわ)に…」。ここに集約された石森章太郎の理想と願いは、発表から50年近くたった今でも、いや今だからこそ、それを読む私たちに感動を与えてくれます。

「「黒い幽霊団」ヲ殺スニハ、地球上ノ人間ゼンブヲ殺サネバナラナイ!
ナゼナラ「黒い幽霊団」ハ人間タチノ心カラ生マレタモノダカラダ
人間ノ悪ガミニクイ欲望ガ作リアゲタ怪物ダカラダ!」

ブラック・ゴーストの正体、三つの脳がうそぶくように、50年経った今でもブラック・ゴーストの細胞は生き残り、世界中で憎悪のタネを蒔き続けています。それは世界征服のためという単純な目的のためではなく、民族的対立、宗教的対立というより根源的な、より根深い複雑な様相を呈しています。

マンガ史上最も美しいラストシーンと謳われた「地下帝国ヨミ編」の名セリフが私たちに残した祈りは、はたして世界中の人々の心に届いたのでしょうか。

「あたし?
あたしはね
世界に戦争がなくなりますように……
世界中の人がなかよく平和にくらせますようにって……いのったわ」

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

■セリフの履歴

出典:『サイボーグ009』7(石森章太郎作画、『SHOTARO WORLD』045、メディアファクトリー、1999年)

注:後年、石森章太郎は「石ノ森」と改姓しますが、今回の表記は作品発表時の名前をそのまま使用しています。

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五月のメモランダム◆小松左京『五月の晴れた日に』など

風薫る五月も残りわずかになってしまいました。

桜とともに訪れた春も去り、青葉・若葉の眩しい初夏へ。一年中でもっとも〈生〉の輝きに満ち溢れた季節は、間もなく梅雨を経て、辟易するほどの生命むせ返る夏へと移ろっていくのです。

五月、と聞いて一番に思い出すのが、寺山修司「五月の詩・序詞」です。

きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

夏休みよ さようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち

萌ゆる雑木は僕のなかにむせんだ
僕は知る 風のひかりのなかで
僕はもう花ばなを歌わないだろう
僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう
春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを
そうして僕が知らない僕の新しい血について
僕は林で考えるだろう
木苺よ 寮よ 傷をもたない僕の青春よ
さようなら

きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した

この瑞々しい詩を歌った時、寺山修司は21、22歳。若さのただ中で、生命萌える季節を歌いながら、この詩になぜか〈死〉の翳りを感じ取ってしまうのは、結核療養中の寺山が見ていた、遠い未来の姿が反映しているからでしょうか。

事実、寺山は1983年の5月4日に亡くなっています。

いっせいに萌え出づる青葉・若葉を歌って忘れられないのは、天地真理が1973年3月に発表した「若葉のささやき」明るいポップスを歌っていた天地真理ですが、私はちょっとマイナーな旋律が入っているこの曲が大好きです。

愛はよろこび それとも涙
誰も知らない ことなのね

目にも鮮やかな季節を描写しながら、恋の訪れに期待と不安を感じてしまう少女の気持ちを表すには、明るさの中の翳り――光を浴びた葉叢が風に踊り作り出す木の下闇こそ、少女の不安な心をピッタリに表わしているのでしょう。

愛はよろこび それとも涙
いつか私も わかるでしょう

五月には革命も香りも感じられます。1968年のパリ革命も影響しているのでしょうか。あるいは、ずっと昔に読んだ、小松左京『五月の晴れた日に』の影響かもしれません。

破滅的な世界戦争を経た未来。平和で、充ち足りた幸福を手に入れることができた未来世界。そこでは人口は常に一定に保たれ、進歩も退化もない安定状態が生まれました。一部の貴族階級は、芸術を愛し調和を求める、退廃的とも言える日々の暮らしを享受しています……。しかし、そうした支配階級は、実はかつて人間たちが作り出したアンドロイドであり、人間は彼らのしもべとなっていたのです。

人間本来の、常に新しいものを作り出していこうとするエネルギーを抑えこみ、新製品の考案、研究を禁止し、秩序体系の混乱を防ごうとするアンドロイドの思惑は成功し、史上初めての平和な世界が生まれはしました。だが、ついに、人間たちはそうした完璧な秩序の枠をはみ出し、暴動を起こすのです――その自然的本質によって……。

上部構造の物体化した存在にすぎない我々は、結局下部構造によってくつがえされ、改変される。

蜂起した人間に破壊される直前につぶやくアンドロイドの独白は、今や古臭さを感じ得ない歴史理論かもしれませんが、五月には〈革命〉もまた似合うのです。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:「五月の詩・序詞」(寺山修司著、『われに五月を』、思潮社、1993年)。「若葉のささやき」(山上路夫作詞・森田公一作曲・天地真理歌唱、1973年)。『五月の晴れた日に』(小松左京著、『神への長い道』〈ハヤカワ・SF・シリーズ〉所収、早川書房、1967年)

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また再びの道を行く◆山上たつひこ『光る風』

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いまさら、『光る風』もないでしょうと、笑っているあなた。そうですね、『週刊少年マガジン』掲載から45年、山上たつひこ『光る風』に対しては、もうさまざまな人がさまざまな場所でさまざまな感想や意見を発表していて、確かに言い尽くされた感じがありますね。それを百も承知で、取り上げたのにはワケがあります。

一つは、フリースタイルより完全版が、それも1900円という安価で出版されたこと。実は完全版は2、3年前に小学館クリエイティブから出版されていたのですが、なぜか同じ装幀でフリースタイルから再出版されたのです。事情はよく知りませんが、今、この時代に、より手にしやすい条件で世に流通することは歓迎すべきことでしょう。

もう一つは、前に書いたように、「今、この時代に」ということ。45年の時を経て、私たちを取り巻く環境や情勢は、驚くほど『光る風』で描かれた世界に近づいているようです。

ところで、このたび久しぶりに読み返してみて気がついたのですが(私は朝日ソノラマ版の単行本2冊を持っています)、結構ベタな内容なんですね。悪人・仇役は徹底的に悪人顔にデフォルメされているし、登場人物の名前は、すぐに誰をもじったのかがわかる、とってもわかりやすいネーミング。大杉や高村といった主人公の六高寺弦に影響を与える教師や彫刻家、戦場に送られる思想犯たちがの名前が松本新張(まつもとしんちょう)・尾田実(おだまこと)などといった具合。憲兵大尉は天勝(あまかつ)とくれば、ちょっと安易かなあと……。

初めて読んだ時にはものすごくショックを受けた、主人公の兄、光高の負傷後の姿。これが江戸川乱歩『芋虫』からヒントを得ていることを知ったのは、いつだったでしょうか。汚物のつまったパイプを抜けていく脱出シーンも、その後、どこかで読んだり見たりしたような……。

当局からの指示で中途完結を余儀なくされたと聞いている唐突な終わり方も、大風呂敷を広げ過ぎた挙句の「渡りに船」と邪推してしまったり(ごめんなさい)。多くの個性的な登場人物を有機的にさばいて、整合性を持ったストーリに仕上げていくには、まだ作者は若すぎて力量不足だったのではと思います。

読みなおしてみて、一番心に残ったシーンは、出征する光高に迫る弦の駅頭シーン。歓呼の声に送られ、「祝出征」の襷姿でそれに応える光高に、

「いっちゃだめだ! にいさん!」「にいさんたのむ!! 生きて…生きてかえってくれっ」「死ぬなよ――!!」

と胸ぐらをつかんで絶叫する弦。

弦の祈りどおり、光高は死ぬことなく生きて帰ってくるのです。ただし、無残な姿となって……。

私たちは、近い将来、このマンガのシーンのように、いや、かつて70年前にこの国で日常的に行われていたように、戦地に向かう人々を万歳の声で見送ることになるのでしょうか。その時、愛する人に対し、生きて帰ってきてほしいと声に出して叫ぶことができるでしょうか。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『光る風』(山上たつひこ作画、フリースタイル、2015年)

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みっともないけど、青春◆神代辰巳「青春の蹉跌」

神代辰巳監督没後20年を記念した上映特集で、久しぶりに「青春の蹉跌」を観ました。

私は、18歳の頃からずっと映画の鑑賞ノートをつけていますが、その記録には、この映画を初めて観たのは1974年6月26日、東宝試写室にて、と記してあります。当時、私は大学1年生。映画をマスコミの評判や話題性ではなく、監督や役者さんにこだわった観るようになったちょうどその頃です。いっしょに観たのは、毎日のようにつるんで名画座を回っていた友人S。

原作者の石川達三が、「ポルノ映画の監督に撮らせるなんて!」と激怒したといううわさ、そして、「ポルノ映画監督」神代辰巳以下、脚本の長谷川和彦、音楽の井上堯之といった製作陣、萩原健一(以下、ショーケン)や桃井ら役者の顔ぶれ、日活ではなく東宝で作られたことが、この映画の1974年当時の日本映画、いやサブカルチャー全体における位置づけをよく表わしていると思います。

私にとってショーケンは、ザ・テンプターズのボーカルではなく、やはりテレビ「太陽にほえろ」のマカロニ刑事のインパクトが強い存在でした。前年の夏、立ち小便をしながら暴漢に刺殺されるかたちで殉職(正式には職務中ではないので殉職には相当しないそうですが)した、その格好悪い幕切れは、それまでの「不死身」に近いヒーローが活躍する刑事ドラマの常識をくつがえしました。

それは、みっともなく、格好悪い、ぶざまな「青春」こそが、私たちが生きているこの現実社会ではリアルな「青春」の姿なのだということを、あらためて教えてくれたと思っています。

この映画においても、ショーケンは本当にどうしようもないくらいみっともない青春をおくっています。ゲバ棒を振るっていた過去を封印し、裕福な親戚から金銭的援助を受け、司法試験に合格し、孕ませた女を捨てて別の女と婚約し、「陽の当たる場所」を目指す姿は、おそらく当時の私にとっては、もっとも唾棄すべき男だったはずです。でも、なぜかそうは思わず、そんなショーケンに思い入れしてしまう自分自身がいました。

なぜなのでしょう? 闘争の残滓をただよわせる森本レオ扮する活動家の先輩とのやりとり、恫喝し思い通りにさせようとする援助者への屈折した感情、成り行きで孕ませた桃井かおりを殺してしまう短絡さ……そうした内にこもった感情を見事に演じきったショーケンと、神代監督の自在な演出力のせいなのでしょうか?

「みっともない青春」を体現し、私に圧倒的なインパクトを与えてくれたショーケンは、翌年のテレビ「傷だらけのい天使」最終回、頓死した水谷豊をリアカーに乗せて夢の島のゴミの中をさまよう姿で再び現れることになるのです。

映画のラスト。逮捕状を持って試合会場を訪れた刑事(「太陽にほえろ」で共演した長さんこと下川辰平という楽屋落ち!)は、ハーフタイムを終えて試合に戻ろうとするショーケンを止めようとする同僚に、こう言います。

「ほうっておけ、どこへも逃げられやしないよ」

でも……。初めて試写会で観た帰り道、友人Sが言った言葉、「逃げられる所は一つだけあったんだよな」は、今でも忘れられません。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:「青春の蹉跌」(神代辰巳監督・長谷川和彦脚本、1974年公開)

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時計台解放区にて(その2)◆みやはら啓一『ぼくたちの伝説』

インターネットって、本当に便利ですよね。今回ご紹介するみやはら啓一のマンガ『ぼくたちの伝説』ですが、『週刊少年サンデー』に発表された際にリアルタイムで読んでいたのですが、その後、単行本に収載されたこともないようだし、インターネットで検索しても欲しい情報にはヒットすることはなく、もう一度、読むことは難しいとあきらめていました。

ところがある日のことです。発送の転換というか、ある考えが浮かびました。まさしく、天啓です。――そうだ、作品名だけで検索していたから限界があったのだ、掲載していた雑誌名で調べればいいのだ、と。

1970年の『週刊少年サンデー』に2号にわたって掲載されていてことは確実なので、神保町のマンガ専門古本屋で探したり、インターネットに登録している全国の古本屋で検索しました。その結果、二回目が掲載されていた11月8日号(46号)を、仙台の古本屋から購入することができたのです。残念ながら、初回掲載号、つまり45号はどこを探しても手に入れることはできませんでした。ただ、国立国会図書館に架蔵されていることが判明し、なおかつコピーサービスが受けられるとわかり、こちらは該当箇所のコピーという形で入手しました。

――という前置きのあと、ここからが本題です。

扉絵に「500万高校生にこの一編を捧げる」との、『高校さすらい派』と同じ献辞を掲げたこのマンガ『ぼくたちの伝説』は、「高校生シリーズ第2弾」として前後編2回に分けて連載されました。原作は、佐々木守。作画は、みやはら啓一。担当編集者は、『高校さすらい派』と同じ武居記者。前作が一定以上の評価、人気を得たからでしょうか、当時の看板マンガ『男どアホウ甲子園』の原作者の佐々木守に頼み込んだり、作画に新人のみやはら啓一を持ってきたりと、チャレンジ精神が感じられます。

佐々木守については、ここであらためて説明する必要はないでしょう。多くの映画、テレビのシナリオをはじめ、マンガ原作も少なからず手がけています。私にとっては、大島渚監督の盟友としてもお気に入りの作家の一人です。

一方、作画を担当したみやはら啓一。貸本マンガ出身だと思うのですが、私にとってはこの作品がみやはら初体験でした(のちに自費出版で刊行された『おおわれら三人+ワン』1972年)を古本屋で購入しています)。ちなみに、やはり好評だったのでしょうか、同じコンビで同じサンデー誌上に、男女高校生が一夜をともに過ごす小品を描いています(作品名、忘れてしまいました。どなたかご存知の方、いらしゃいませんか?)。

東大合格率日本一を誇る千早高校。東大入学を目指す3年生の麻生と岩渕。野球部のエース、九条。大学生活動家とも関係を持ち、学内オルグを画策する3年生の大倉。知恵遅れだが心優しい理事長の息子、大内。彼らが心惹かれる活発で物おじしない美少女、1年生の吉本若葉。

進学率維持のため管理体制強化をはかる学校側と、自由な学園生活に憧れる学生たち。悲劇が起こることはあらかじめ予想されています。野球部暴力事件をきっかけに校則を改正し、生徒たちを縛ろうとする学校側。その方針を受け入れ東大を目指すことこそ正しいとする岩渕。若葉への想いを封じ込めそれに従う麻生。闘争の先鋭化のための学外集会を目論む大倉。バリケード封鎖された学校で孤立していく若葉と、欲望の赴くまま彼女を襲う九条。

裏切りと挫折、純愛と性欲、理想と現実、不完全な闘争と厳しい敗北。バリケードは解除され、巻かれたアジビラは回収されてしまいます。みずからの手でアジビラを焼却することで、反省と従順を示すように求める学校側。屠殺場に向かう家畜の群れにも似て、高い煙突を持つ焼却炉に並ぶ生徒たちに冷たい雨が降りしきります。「つぎ!」。「つぎ!」。「つぎ!」。「つぎ!」……彼らが投げ入れる焼却炉の中で膝を抱えてうずくまる放心状態の若葉!!

泣くことを知らないきみ――
笑うことを忘れたきみ――
怒ることをやめたきみ――
憎しみを捨てたきみ――
それはぼくだ

恋することを知らないきみ――
愛することを忘れたきみ――
涙が出なくなったきみ――
それはわたしだ

乾いたアスファルトの街――
沈黙の風が吹きぬける街――
そんな街のぼくときみの間にひとつの伝説が生まれる
風のように
水のように
光のように
それは――青春の伝説である

そしてそれは疑いもなく
ぼくたち自身の伝説である

ガリ勉受験生も、部活イノチの運動部員も、政治活動にはしる運動家も、女の子に憧れる者も、誰もが私たちのまわりにいましたし、私自身のもう一つの姿でもありました。それが「伝説」となって語り継がれていくのならば、この世の中にこれ以上に哀しい伝説はありません。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『ぼくたちの伝説』(佐々木守原作・みやはら啓一画、『週刊少年サンデー』1970年45号~46号、小学館、1970年)

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春にして君と……◆柴田翔『されどわれらが日々――』

桜の花が咲き始め、今年も春が訪れましたね。

日本人にとって春の訪れを感じさせる一番のものは、桜の開花に違いないでしょう。でも、もう少し前の、冬が終わりかけ春が近づいている季節――早春を感じさせてくれる時期にも、自然はやさしい贈り物をしてくれるようです。

下宿の窓から外を眺めると、暖かい日差しをうけた畑地からもやがうらうらと立ちのぼり、遠くの神社の森や、南側の斜面の新しい町並の中に目立つ赤い教会の塔は、その軟らかい大気の中にかすむように漂っている。

私がまだ子どもだった頃、住んでいた家の周囲には空き地や畑が広がっていて、夜に雨が降った日の翌日など、ここに描かれているような、太陽の光に黒土からいっせいにモヤが立ち昇る風景をよく目にしたものです。

これは柴田翔『されどわれらが日々――』の終章、主人公の文夫の独白の冒頭に描かれたシーンです。この年の春の訪れは文夫にとって特別のものに感じられたことでしょう。前年の晩秋に始まる些細なできごとから運命の歯車は軋み始め、思いもよらず恋人の新しい旅立ちを見送る別れの春を迎えることになってしまうのですから……。

『されどわれらが日々――』を初めて読んだのは、20歳前後のことだったと記憶しています。20歳になった有名人が勧める本といった趣旨の特集を新聞で読み、その中で檀ふみが紹介していたのがこの本でした。何一つ不自由なく育った慶応大学のお嬢さんと思っていた(実際はものすごい葛藤があったのだろうけど)檀ふみなんかに負けてたまるか、みたいなおかしな対抗意識で読み始めたものでした。

読み始めてみるとその時代背景がよくわからず、またそれまで読んでいたSFやミステリとあまりに異なる内容にいささかの違和感を感じたものの、読み進むにつれてその内容に圧倒されてしまいました。

日本共産党第六回全国協議会(六全協)の決定によって山村工作隊など武装闘争路線が放棄されて間もなくの虚無感漂う時代を舞台に、東大大学院生の文夫と女子大学生節子の心の軌跡を描いています。60年安保前夜、まだ混沌とした時代。党の路線変更にとまどい自殺する元工作員をはじめ、信じていたものに裏切られ、この後何を信じて生きていけばいいのかという喪失感が全編を覆っています。今の大学生、いや僕が大学生だった頃のおちゃらけた学生生活を否定するような、主人公たちの悩み、政治との関わり方――何よりもその真摯な生き方に打ちのめされたことを憶えています。

婚約者の文夫との平凡で平和な生活を捨ててまで、あえて新しい一歩を踏み出す節子の覚悟。

人間にとって、過去はかけがえのないものです。それを否定することは、その中から生れ育ってきた現在の自分を殆ど全て否定してしまうことと思えます。けれども、人間には、それでもなお、過去を否定しなければならない時がある。そうしなければ、未来を失ってしまうことがあるとは、お考えになりませんか。

かけがえのない過去を捨ててまで、満ち足りた現在を捨ててまで、未来の自分のために一歩を踏み出す節子の潔さ。その雄々しいまでの覚悟の裏に見せる文夫への断ち切れぬ思い。

あなたは私の青春でした。どんなに苦しくとざされた日々であっても、あなたが私の青春でした。

後に荒井由実の名曲「卒業写真」のモチーフともなった、この美しいフレーズ。名セリフ中の名セリフです。

突然の別れを告げられて戸惑う文夫もまた、節子の決断を理解し、それを時代の中に位置づけようと試みます。ここには、あの時代を生きた知識人の良い部分が描かれています。

人は生きたということに満足すべきなのだ。人は、自分の世代から抜け出ようと試みることさえできるのだから。

同時に、文夫の思いは、その後に続く世代へのメッセージにもなっているのです。

やがて、私たちが本当に年老いた時、若い人たちがきくかも知れない、あなた方の頃はどうだったのかと。その時私たちは答えるだろう。私たちの頃にも同じように困難があった。もちろん時代が違うから違う困難ではあったけれども、困難があるという点では同じだった。そして、私たちはそれと馴れ合って、こうして老いてきた。だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだと。そして、その答えをきいた若い人たちの中の誰か一人が、そういうことが昔もあった以上、今われわれにもそうした勇気を持つことは許されていると考えるとしたら、そこまで老いて行った私たちの生にも、それなりの意味があったと言えるのかも知れない。

――思いは松明のように引き継がれていかなければならないのでしょう。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『されどわれらが日々――』(柴田翔著、文藝春秋、1964年)

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時計台解放区にて(その1)◆芳谷圭児『高校さすらい派』

買ったままにしておいた小林哲夫『高校紛争1969-1970』(中公新書、2012年)をようやく読み終えました。

著者によれば、日本における高校紛争は、1969年から1970年3月の卒業式までをピークに、ほぼ全国的に起こったもので、紛争に関わった世代は、1951~52年生まれになるそうです。大学生による学生運動に比べ短い期間で終息を迎えるこの紛争を、著者は「のちになって「はしか」のようなものと揶揄されても仕方がないほど、高校紛争は短期間に起こった出来事であった。歴史に埋もれ、人々の記憶から薄らぎ、時とともに消えてしまうのも無理はないかもしれない」と評しています。実際、その世代にほんのわずかの差で遅れて生まれた私は、3年間の高校生活で「紛争」を体験することはありませんでした。

しかし、紛争を体験することのできなかった私でも、小説やマンガを読むことで、あるいは映画を見ることでそれを追体験することはできました。例えば、こんな風に……。

1970年――それは、青年向けの劇画雑誌はともかく、もっと下の世代を対象にしていたマンガ雑誌にいたるまで、高校紛争をテーマとした作品が掲載されていた時代でした。当時、私は小学館が発行する『週刊少年サンデー』を毎号購読していましたが、かつては手塚治虫や藤子不二雄の小中学生向けの作品が並んでいた誌面は、もう少し上の高校生を主人公とした作品や、より劇画色を強めた作品に取って代われれていました。ちなみに、手元にある1970年34号(8月16日号)のラインナップを見てみますと、掲載13本のうち7本が明らかにそうしたジャンルの作品であることがわかります。

石井いさみ『くたばれ!!涙くん』、梅本さちお『とべない翼』、ジョージ秋山『銭ゲバ』、楳図かずお『おろち』、さいとう・たかお『グループ銀』、望月三起也『夜明けのマッキー』、そして、芳谷圭児の『高校さすらい派』という布陣に、当時、『巨人の星』と『あしたのジョー』で大きく距離を離された『週刊少年マガジン』に対抗しようとするサンデー編集部の意気込みが感じられます。

そこで、『高校さすらい派』です。

舞台は、地方の進学校。学校側に反発し、学友からも孤立した勉、勇介、和子の3人は、ついに学校をロックアウト、校舎内に立て籠もります。和子への愛が届かないことを悟った勇介はみずから死を選び、血友病に冒されている和子は、機動隊が放つ催涙弾による負傷から命を落とします。

ロックアウトされた深夜の校舎屋上から飛び降りた勇介とガラス越しに視線を交わす勉。勉に抱きかかえながら死んでいく和子。自己保身だけの理由で機動隊を導入する校長。学校側の対応に憤り校舎に乱入する生徒たち。彼らを暴力で排除する機動隊。これでもかというくらいの勢いで描かれるドラマは、私を圧倒しました。それが権力者に対する悲憤慷慨であったのか、純愛を貫いた同世代へのシンパシーだったのか、敗れ去る戦いへの挽歌であったのかは、40年以上たった今では判然としません。ただ間違いなく感じたことは、何もできないまま、いや何もしようとせずに日常を漫然と暮らしている自分自身への怒りと焦燥感だったことははっきりしています。

原作は滝沢解、描いているのは芳谷圭児。ともに赤塚不二夫が主宰するフジオプロ劇画部の若いスタッフでした。このあたりの事情については、当時の赤塚番記者だった竹居俊樹の『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』(文春文庫、2007年)に詳しく書かれていますので、興味のある方はぜひお読みください。

封鎖が解かれ、騒然とする校内。その中を、和子を両腕に抱え、ロープで結んだ勇介を引きずりながら歩み去っていく勉……。砂丘を行く3人を見開きで描くシーンと、朽ち果てた廃船を1ページに描くシーンに、作品冒頭で掲げられたのと同じ文章がもう一度、繰り返されています。

いま旅立って行く
盲いた十六歳の老人
あてどなく地の果てまで
みずからを探し求めて
さすらうのだろうか…

かつてここに
ひとつの青春があった

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『高校さすらい派』(滝沢解原作・芳谷圭児画、『週刊少年サンデー』1970年29号~34号、小学館、1970年)

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〈永遠〉につながる物語◆光瀬龍『たそがれに還る』

日本SF作家クラブ創立50周年を記念したアンソロジー『日本SF短篇50』全5巻が早川書房より刊行されています。クラブ創設の1963年から2012年までの50年間に発表されたクラブ会員の短篇小説の中から、各年を代表する作品を一作選び出し、しかも作家が重複しないように時系列に配列するという、壮大なコンセプトのもとに編まれた究極のアンソロジーです。1963年から72年の10年間――黎明と勃興の10年間に発表された作品を収めた第一巻冒頭に、光瀬龍の『墓碑銘ニ〇〇七年』が掲載されています。

光瀬龍は、いわゆる日本SF第一世代を代表する作家の一人で、叙情と虚無感に支えられた東洋的無常観をバックボーンに持つ、その個性的な作風から「宇宙叙事詩を語る吟遊詩人」と称されています。私のような世代にとっては、筒井康隆や眉村卓とならんで、学習雑誌での連載や書下ろし作品を多く手がけたジュヴナイル作家としても忘れられないSF作家です。

光瀬龍自身は1999年に亡くなっていますが、つい最近まで『SFマガジン』誌上に、立川ゆかりの手による評伝「是空の作家・光瀬龍」が連載されていました。この評伝は、作家としての履歴よりも愛妻家としての側面に光を当てた画期的な評伝となっています。これを機会に、光瀬龍の諸作品が見直されるようになればありがたいことです。

さて、光瀬龍には、のちに〈宇宙年代記シリーズ〉と呼ばれる一連の作品があります。先に記した『墓碑銘ニ〇〇七年』のように、タイトルの末尾に年号を付した短篇群がそれで、圧倒的存在の宇宙空間に進出していく人類の姿を、主に挫折と敗北の記録として描いています。――永劫の時間の流れの中にあって、人類とはいかなる存在なのか? このテーマに貫かれた各作品はそれぞれが独立したものですが、実は超未来の宇宙文明史家がまとめた通史の中のエピソードを、一つ一つ読み物化したというスタイルを取っているところも優れた着想だと思っています。

長編SF小説『たそがれに還る』(1964年)は、そうした光瀬龍の魅力が詰め込まれた私の大好きな作品です。太陽系外から迫り来る破滅の予兆に対処する人類の姿と、それを徒労とあざ笑うかのような宇宙と時間の絶対的存在……。

こう書いてしまうと、破滅に支えられた人類の歴史――ともすれば無常観や虚無感のみが前面に押し出されているように見えますが(もちろんそれも魅力なのですが)、第四章「星そして星」の一章まるまるを使って描かれた宇宙観はロマンに溢れたものです。私はここに光瀬龍の、もう一つの魅力を発見したのでした。

われわれ人類は、太陽系の中の一惑星にしばりつけられていて、それら星々をおとずれ、あるいは宇宙の果まで飛んで、自らの疑問をただしてくるなどということはとてもできない。たとえわれわれに翼があり、あるいは光より早く飛べたとしてもそれは不可能なわざである。しかし、石のごとくこの地球を離れられなくても、その心さえ自由ならばいつでもそれら星々はもとよりあるいは大宇宙の果までも自らの目で、自らの心でながめ考えることができる。それは難しい数式や巨大な観測装置など何一つ必要としない。ややもすれば生活の中に失いがちな柔軟な心、あるいは花を見、鳥や虫の鳴声に耳をかたむけ、夕映えの空に忘れていたむかしの事どもを想い起す心、その心が実は星々の語る物語を受け止める。
そこに永遠につながる一つの世界がある。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『たそがれに還る』(光瀬龍著、『世界SF全集』30所収、早川書房、1970年)

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もう一つの「十六歳の戦争」◆山上たつひこ『回転』

今回は、山上たつひこ『回転』からの名セリフをご紹介しましょう。

ところで、山上たつひこと聞くと、どうしてもギャグマンガ家のイメージが強いですが、それはひとえに『喜劇新思想体系』(1972年)と『がきデカ』(1974年連載開始)の強烈なインパクトによる影響からでしょう。

さて、『回転』ですが、このマンガは、『週刊少年マガジン』1971年3月28日号に掲載された短編です。1971年3月と言うと、同じ『少年マガジン』に掲載されていた長編マンガ『光る風』が、突如打ち切られた前年11月からわずか4ヶ月後のことです。デビュー以来のSFマンガからより社会性を高めたテーマに挑戦し始めていた山上たつひこが、挫折後に描いた第一作で、過激ギャグマンガへの過渡期的作品に位置づけられるものです。

扉には、暗い表情の中年女性の顔がアップで描かれ、タイトルとの間には次のような文章が記されています。

過去・現在・そして未来――
この三つのことばの組みあわせはおもしろい
どのように順序をならべかえても
その意味あいはすこしもかわることがないのだ

物語は、現在と過去をカットバックの手法を駆使して描いていきます。

1971年のある朝、混雑する駅のホームから一人の男性が転落し、電車に轢かれて即死します。事件を捜査する警察は、ほどなく被害者が強大兵器産業の社長であること、事故や自殺ではなく中年の女によって突き落とされた事実をつかみます。

同じ日の夜、一人暮らしの中年女性が戦争中のできごとの回想を始めます。回想シーンのページは、あたかも死者を悼む遺影でもあるかのように、そのすべてが余白を墨ベタで塗りつぶされています。最初の思い出は、勤労動員で働いていた少女のもとに届いた恋人からの手紙でした。徴兵猶予が取り消され戦地に赴くことを余儀なくされた青年からの別れの手紙を淡々と読む少女。次の思い出は、終戦から2年め。戦争から帰ってきた戦友から恋人の戦死を知らされた日の思い出。この瞬間、初めて感情をあらわにした少女は、絶叫するのです。

次の日の朝。普段と同じように通勤電車に乗っている中年女性は、今度は「たった二十四時間まえのこと」を思い出します。自分の前に立っている男が兵器産業の社長であること、男が作り出す武器で限りなり人間の命が失われているという事実。

「なにをためらうことがありましょう」

ここでこのマンガが発表された1971年という時代について考えてみましょう。

高度経済成長のまっただ中、繁栄を極めている日本ですが、その反面、戦争の傷跡はそこかしこに残っていました。ここで言う「戦争」とは、アジア・太平洋戦争だけでに限ったものではありません。ベトナム戦争はますます激しさを増し、アメリカ軍の後方支援基地となった政府と一部企業に対する反発は日に日に高まりを見せていました。

被害者としての日本人。加害者としての日本人。――戦争をめぐる過去・現在・未来は混沌とし、迷宮となり、同時にそこに存在していたのです。

やはり黒枠に囲まれた昭和十八年秋――と書かれた最終ページ。恋人からの手紙を手に立ちつくす少女の全身像にかぶさるモノローグはいたたまれません。

「わたしは/やがて/十六さいの/誕生日を/むかえようと/していたのですよ」

秋吉久美子主演の映画「十六歳の戦争」に先立つこと、2年。戦争の時代を生きた少女の姿を描く、もう一つの「十六歳の戦争」があったのです。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『回転』(山上たつひこ作画、『光る風』2〈サン・ワイド・コミックス〉所収、朝日ソノラマ、1986年):

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