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変わる季節に◆荒井由実「『いちご白書』をもう一度」

営団地下鉄の神保町駅からJR御茶ノ水駅に抜けるコースはいくつかあります。もっともポピュラーなのが靖国通りを駿河台下交差点で左折して明大通りを上っていくコースでしょうが、私の好きな散歩コースに、交差点手前で左折して次の小学校の角を右折し、錦華公園脇の坂道を登り、明治大学校舎や山の上ホテルを横に見て、とちのき通りかかえで通りを経由するコースがあります。秋も深まると、坂道の途中にある大銀杏がみごとに色づき、坂道は黄金色の落ち葉で敷き詰められます。この錦華公園脇を通るたびに、私はあの有名なエピソードを思い出してしまいます。

70年代のまだ早い時期、長髪の大学生が二人、お互いの髪の毛をはさみで刈りあっていたのを一人の早熟な少女が目にします。このシーンは少女に強い衝撃を与え、のちに歌手となった少女は、この日の情景をもとに一曲の歌を作ることになります。そう、誰もが知っている、荒井由実「『いちご白書』をもう一度」誕生伝説です。

荒井由実から曲の提供を受けたバンバンのこの歌を聞いたのは、大学生のころ。社会人になるまでに許された4年間の執行猶予、その長いようで短いモラトリアムの、ちょうど冬が訪れる前の小春日和のような毎日を生きていた私に、この歌はすぐそこに迫っている逃れようのない現実を突きつけたのでした。実際は、「就職が決まって」髪を切るのではなく、「就職活動を始める」ために髪を切るのですが、長髪からリクルート・カットに整髪し、ジーンズから背広姿に着替え、会社訪問を始めなければならないという現実は、怠け者の私にとっては耐えられないものでした。

「就職が決まって髪を切ってきた時/もう若くないさと/君に言い訳したね」

「転向」という言葉がまず浮かびました。季節が変わるように人はそんなに簡単におのれの生き方を変えていいのだろうか? それこそ「変節」であり、それまでの自分に対する裏切りではないのか? すぐそこまで来ている自分の変わり身の時を嫌悪しつつ、なすすべもなく毎日を過ごす私でした。

そんなわけで、私はこの歌が大嫌いです。あれから30年以上が過ぎて、今でも懐かしの歌番組などでバンバンの生き残りの、いい年をしたおっさんのばんばひろふみがこの歌を歌うとき、「いい加減にせいや」と、たまらないやりきれなさに包まれてしまうのです。甘っちょろい失恋話のオブラートで包み込むことで、若さゆえの「転向」や「裏切り」を美化することはやはり許されない行為だと思うのです。だけど……。

心の中で唾棄すべき歌と拒否しながらも、それでも私がこの歌に惹かれてやまないのは、荒井由実の歌つくりのうまさによるものでしょう。哀愁感あふれるメロディラインはもちろん、あえて思い出の映画を「いちご白書」にした叙情性などが、学生運動の余燼がくすぶっていたあの時代を生きた私たちをとらえてしまったのです。そして、理想と現実のギャップを知り、ほんねとたてまえの使い分けを覚えることで、大人になっていく私たちの悲しい現実を描ききったことで、この歌は普遍的な生命を得たのではないでしょうか。

心のどこかでこの歌が大好きだとつぶやくもう一人の私がいます。拒否しながらも受け入れてしまう……そうしたアンビバレンツが、この歌の魅力となっているのではないでしょうか。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:「『いちご白書』をもう一度」(荒井由実作詞・作曲、バンバン歌唱、1975年)

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