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続・変わる季節に◆五木寛之『恋歌』

昔の五木寛之の作品を読んだことのない最近の人は、五木寛之と聞けば、寺巡りをしてその感想を書いたり、インド宗教にかぶれた仏教論を書いたり、あるいはしたり顔で人生を語ったりする、そんなおじさんだと思っているのでしょうね。そう思ってしまうのも当然なのが、ご隠居芸でお茶をにごしている五木寛之の悲しい現実です。

五木寛之は、私が初めて個人全集をそろえた作家です。その作品に登場する魅惑的なターム――思い出すままに挙げてみるならば、たとえば、ジャズ、ベトナム戦争脱走兵、白夜の北欧、鈴鹿8耐、内灘闘争、、ムンク、ダブルクラッチなど、それまで読んできたどんな小説でも取り上げなかった現代性に富んだ内容に、たちまち私は魅了されてしまいました。かつて五木寛之の作品や言動から圧倒的な影響を受けた私にとって、物語を書かなくなって久しい五木寛之からは、一つの季節の終わりを感じてしまいます。

稀代の物語作家(ストーリーテラー)――これが五木寛之を言い表すもっとも相応しい言葉だと思います。みずから純文学からの訣別を宣言し、時代の風をはらみ、60年代末から70年代を疾走した初期の作品群。いっときの休筆期を経て、より濃密な伝奇性を身につけ、時代の危機感を描き始めた中期。国内外を舞台にした青春小説、恋愛小説、あるいは非情なマスコミや芸能の世界を描いた現代小説、歴史の翳に隠された謎を抉り出す伝奇小説と、ジャンルや素材はさまざまですが、すべてに流れているモチーフには、幼い日の外地からの引揚げという原体験――デラシネ(根無し草)という生き様が色濃く影を落としていると思います。作品の多くがアンハッピイエンドで終わっていること――男たちの野望は頓挫し、女たちの愛は報われず終局を迎えるところに、どうしようもない虚無感みたいなものを感じてしまいます。

初期の傑作『恋歌(1967~68年)は、そうした五木カラーがよく出ている作品です。引揚げの途中で外国兵にレイプされた体験を持つ冬子、現代的女性を体現するキャリアガールの直子、直子の妹で奔放に生きる亜由美。過去・現在・未来をイメージするこの三人の女性の生き様、三者三様の愛の行方を通して奏でられるフーガをつらぬくものは、決して消すことができない戦争の影なのです。全編をつらぬいて流れる「サンライズ・サンセット」のリフレインが、時代とともに変わっていく人間の運命を象徴し、本当に格好よく、恋愛が何なのかも知りはしない私ですら、ただただうまいなあと感心したものです。

すべては変る。人生も、愛も、自然も。だからこそ人間はお互いに求め合うのだろう

ラスト近く、内灘の砂丘で海向かって立ち、変わるものと、変わらないものとに思いをはせる亜由美。唯一この物語で希望の象徴である亜由美の決心に、私は救われた思いがしました。未来への一歩を彷彿とさせる、美しくも力強いシーンに、上の言葉がかぶります。

転がる石であり続けることを望み、一つの型にはまることをかたくなに拒否する姿勢。時代や社会の流れに身を任せ、そのつど臨機応変に対応する生き方。変わってしまった五木寛之が悪いのか、変わらないでいてくれることを望む読者がわがままなのか。物語をつむぐ才能は無限のものであるのか、才能の枯渇をテクニックでおぎなうことは悪なのか……。そんなことを思いつつ、私は、変わることを恐れず、変わらないことにこだわらず、ひたすら自分らしく生きていけたらと思っています。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『恋歌』(五木寛之著、『五木寛之作品集』12、文芸春秋、1973年)

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