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2008年12月

ふたりで飲みたいバナナジュース◆山田太一「それぞれの秋」

今は「まんだよつお」を名乗っている私ですが、かつては「もぐら一郎」なるハンドルネームを名乗っていた時期がありました。もぐら一郎――もちろん、元ネタは小倉一郎にほかなりません。

最近の小倉一郎は俳句好きのタレントとして、吟行もどきの旅番組のレポーターで活躍していますが、やはり彼の真骨頂は、70年代を中心にした「気の弱い若者」を演じさせたら右に出るものがいない、その役者さんとしての存在感でしょう。私が小倉一郎に共感を得たのも、彼がそうした等身大の役をいっさいの違和感なく演じていたところでした。非力でマッチョに生きることができないできない私は、小倉一郎的な若者像に自分自身のスタイルを当てはめようとしていたのかもしれません。そうした小倉一郎の代表作といえるのが、TBS系列「人間の歌シリーズ」の一編として放映された山田太一脚本によるそれぞれの秋1973年)であることに間違いはないでしょう。

東京郊外、私鉄沿線に住む5人家族。父親の小林桂樹は仕事一筋の中間管理職。母親の我美子は家庭を守る専業主婦。長男の林隆三は体育会系のセールスマン。妹の(元祖「おさかなになったワタシ」!)は反抗期のツッパリ女子高校生。そして、物語の語り手でもある次男の小倉一郎は涙が出るくらいぴったりの、気が弱く体力にも自身がないけれど、だけど心だけは優しい大学生。この家族の、ひと秋の崩壊と再生をテーマにしたこの群像劇を見て私が何より驚いたことは、このドラマがそれまで見ていたやたら明るくてさわやかで、善人ばかりが登場するホームドラマと異なり、暗いカゲの部分もシリアスにきちんと描き、見終わったあとに不快感すらもよおすような、それでいて次回が待ち遠しくてしかたがないドラマだったことです。特に、本来はホームドラマに出てくる父親は、どっしりと構えた大黒柱的存在か(例えば「さよなら、今日は」の山村聰)、反対にしっかり者の妻の尻にしかれるタイプ(例えば「時間ですよ」の船越英二)のいずれかだったと思いますが、前者の系列に位置していたはずの小林桂樹が、病気のためとはいえ、次第に精神を病み、常軌を逸した行動に走る様は鬼気迫るものがありました。もともとは、当時大好きだった桃井かおりが出るということで見始めたこのドラマでしたが、私にとっては生涯忘れることのできないものになったのです。

このように重いテーマで、ともすれば暗くなりがちなこのドラマを救っていたのが、小倉一郎と桃井かおりのコンビでした。彼女にふられた小倉一郎がヤケになってはたらいた痴漢行為の相手が、セーラー服姿(!)のスケ番桃井かおり。夏の終わり、秋の初めに出会ったこのまったくミスマッチの二人が、ドラマの進行にあわせてすったもんだを繰り返した末、めでたくカップルになっていく過程に、私はどれほど助けられたことでしょうか。

喫茶店では必ずバナナジュースを頼む小倉一郎。久しぶりに会った二人の会話に、幼い愛の告白を感じ、私は今でもグッときてしまいます。

「バナナジュース、好きね」「あ、うん。どうしてかな。バナナは、あんまり食べないいんだけど」「私、よく一人で此処へきてさ」「うん」「バナナジュースのんでたわ」

ドラマは、最終回、冬の訪れも近いある日、二人が渋谷の西武デパートの前で待ち合わせて、走り去って行くシーンで終わります。そう、私は、この二人の姿に、いつか訪れるであろう自分と彼女の姿を重ね合わせて見ていたのです。

家族とはそれぞれ独立した個性を持つ個の集合体であり、ときには本音をさらけ出し、衝突しあうことで、より絆は強まり、たとえ崩壊はしても必ず再生していくものだ――このテーマをさらに進ませた名作「岸辺のアルバム」を山田太一がものするのは、これから5年後のことになります。

と、ここまで書いてきて愕然としました。放映から35年の年月は、私を小倉一郎の立場から、上司の不倫の尻拭いをさせられながら、スタイルのよい女性に憧れる妻子持ちの中年男の小林桂樹の立場に変えていたのです。嗚呼!!

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『それぞれの秋』(山田太一著、1973年9月6日~12月13日放送、大和書房、1982年)

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鳥は今、どこを飛ぶ?◆藤田敏八「赤い鳥逃げた?」

私に、監督や役者さんで映画を見ることを教えてくれたのは、TBSラジオのアナウンサーだった林美雄でした。深夜放送「パック・イン・ミュージック」の金曜日第二部の担当だった林美雄の放送から私はさまざまな影響を受けましたが、その最たるものとして、低迷ぶりばかりが喧伝されている日本映画には、たとえロマンポルノやB級アクションなどと差別されてはいても、こういう素晴らしい映画もあるんだよ、ということを教えてくれたことでしょう。

今回は、私が林美雄の影響で大好きになった監督の藤田敏八が、これまた私の大好きなの原田芳雄を主演にして撮った作品「赤い鳥逃げた?(1973年公開)からこのセリフを。

「やることが無くなりゃ、ジジィだろ」

チンピラの原田芳雄とその弟分の大門正明、そしてフーテン娘(実は大金持ちのお嬢さん)の桃井かおの三人。欲望のままにその日暮らしを続ける三人ですが、世の中に反逆のキバを剥くようでいて、その実、暴力とセックスだけの満ち足りない生活に対して心のどこかで不安に思っているのでしょう。若くして老いてゆくことへの怖れや焦燥感を言い尽くしたセリフは、こう続きます。

「誰も、俺たちを探しちゃいない。誰も、俺たちを待っちゃいない。このままじゃ、俺は29歳のポンコツだ。中年を飛び越えて、いっぺんにジジィになっちまうぜ!」

そして、この映画の三人もまた、例えばリングで真っ白に燃えつきた矢吹丈と同じように、醜く老いてゆくこともなく、一瞬のきらめきで燃えつきてゆくのです。ボニー&クライド風の三人の最期を、一つのことに打ち込んだ末に燃えつきた矢吹丈と同一に捉えることには異論もあるかもしれません。ただこの当時、すでに世の中は、変革のためには暴力すら辞さない学生運動の時代から、甘えや馴れ合いとも見まちがうような「優しさ」の時代に移り変わろうとしていたのです。この映画は、そうしたあやふやな、どこかまやかしめいた時代への強烈なアンチテーゼにほかならなかったのではないでしょうか。

当時の私は、心のどこかでこの三人組のような生き方に憧れつつ、でもけっして自分自身はそうは生きられないことをよくわかっていました。何も事件らしい事件もないまま、何も華やかなできごとも無いまま、これからも生きていくしかないだろう。そうやって年を取っていくのが現実なんだ……。それならば、いっそ私は、これからの人生、うれしいことや悲しいこと、辛いことなどがあるだろうけれど、その中をのうのうと生きぬいてやろうと考えていました。あえてダラダラと生きることを是とし、そうやって現実に向かい合ってゆこうと、開き直っていたのかもしれません。

ですから私は、原田芳雄が演じていた体制に媚びないアンチヒーロー(例えば、(野良猫ロック」シリーズのフーテンや、「反逆のメロディ」のジーンズ姿のやくざなど)のように、暴走の果てに鮮烈に死んでゆく男たちよりも、次第にもっと等身大の、かっこ悪く生きている若者たちに共感を感じ、自分自身の生き方やスタイルのモデルにするようになっていったのです。テレビや映画の仮想空間で、そぅしたパーソナリティを体現していた小倉一郎森本レオについては、回を改めて、また別の機会に……。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:「赤い鳥逃げた?」(藤田敏八監督、藤田敏八・ジェームス三木脚本、1973年公開)

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