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2009年1月

夢の名残り◆「パック・イン・ミュージック」への投書など

40年前、1969年1月19日。東京都文京区本郷の東京大学本郷キャンパス。天を摩して屹立する安田講堂に立てこもる学生に対して、昨日18日からその強制排除行動に出た機動隊は、午前7時、二日目の攻撃を開始します。1960年代後半から全国の大学や学園で個別に闘われていた闘争が、全学共闘会議(いわゆる全学連)として、より組織だった闘争へと発展していく全共闘運動の中に、東大闘争、あるいは東大紛争と呼ばれる象徴的な闘いがありました。68年1月の医学部無期限ストに始まる学生たちの東京大学駒場キャンパス・本郷キャンパスでの闘争は、大学当局との間にいっさいの妥協も解決も見ることなく、ついに翌69年1月の機動隊構内導入を経て、そのクライマックス、世に言う「安田講堂攻防戦」を迎えるのです。

学生によりロックアウトされ、教職員はもとより一般人の立ち入りが禁じられた東京大学の駒場・本郷両キャンパスに、唯一出入りを許された写真家がいます。2007年に新潮社から発売された、この「闘争を内部から撮影した唯一の写真家」渡辺眸の写真集『東大全共闘1968―1969には、ロックアウトが進むキャンパスでの学生たちの日常や、闘争の生々しい場面などを写した写真が数多く掲載されています。3963021  モノクロ写真に切り取られた2年間の時間は、単なる報道写真の枠を超えた貴重な歴史資料だと思います。闘争に参加した学生たちのスナップ――ときになごやかで、ときに真摯な彼ら、彼女らの表情に向き合ってしまうと、あるいは安田講堂の壁に書かれたあの有名な落書きの写真を目にしてしまうと、もう何も評論家めいた論評やコメントを口にすることはできなくなってしまいます。

連帯を求めて孤立を恐れず/力及ばずして倒れることを辞さないが/力を尽さずして/挫けることを拒否する

1969年1月19日、夕刻。二日間にわたる攻防戦は、安田講堂からの最後の解放放送――「われわれの闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者のみなさん、われわれの闘いは決して終わったのではなく、われわれにかわって闘う同志の諸君が再び解放講堂から時計台放送を行なう日まで、この放送を中止します」をもって幕を閉じます。

思えば、1968年から72年までの、間に70年の日米安保条約更新をはさむ5年間は、日本現代史の決定的な分岐点だったと思います。60年安保闘争を引き継ぎつつ、それ以上に高揚し、変革がすぐそこ、手を伸ばせば届くところにまで近づいていたはずの全共闘運動は、この東大闘争の終焉を境に大きく後退し、70年安保闘争の敗退もあり、闘争の手段も目的も劇的に変わっていきます。そして行きついた72年のあさま山荘事件。自壊して、不完全燃焼のままに終わらざるを得なかった革命幻想、権力とそれに追随するマスコミによって一方的に狂気の殺人者集団と貶められ烙印を押された戦士たち。愛と自由、連帯と平和の世界実現に向けて流れていた流れは、ついに時代の分水嶺を越え、一気にその反対側――現代の管理社会、格差社会へとつながる、誰かさんたちにとってつごうのよい方向に向かって流れの方向を変えてしまうのです。

攻防戦の舞台、安田講堂は、今でも東京大学のシンボルとして、本郷キャンパスにその威容を残しています。熾烈な攻防戦で廃墟となった講堂は改修され、火炎ビンや石くれが飛び交い、シュプレヒコールと怒声がうずまき、放水とガス弾の煙が充満した講堂前広場もすっかり整備され、40年前の面影はもうどこにもありません。入学式や卒業式ともなれば、講堂をバックに写真に収まる笑顔の親子、スーツやはかま姿の男女学生で華やかににぎわっています。講堂中央塔の大時計は、これからも時を刻み続け、時の流れは止まることも後戻りすることも決してないでしょう。40年という月日の流れは残酷で、闘争の名残りはもうどこにもありません。――当時の深夜放送に寄せられ投書のように、ただ、闘争に参加した者たちの夢の名残りのみを残して……。

俺ワァ/俺のロマンが――ほしンだ/そこだけ小さくはじらって あとは/大声で 一本調子の/アジ演説の中へ/隠れた 人/ボサボサの髪と ヘルメット/会った時/バリケードのすみに寄って/通れヨオと言ったわ/やさしいのね と思ったわ/わたしもロマンが欲しい/わたしのロマンが――/でも あなたは闘い取ろうとする/眠りこんで 感覚の世界を/愛するわたし 違いすぎる/ロマンが/美しい心を ひたひたにするだろう/自惚れのわたしは/醒めてしまったのだと/決めてしまった/目をあげて/極めようと挑み続けている/あなた と/遠すぎるのに/違った言葉しか持っていないのに/なお/愛のようなものを求め合って/見つめてしまう

ゲバ棒を持つには/美しく 細い手をしてた/タオルの下には やさし過ぎる/笑いがあるのを わたしは知っていた/けど/赤や黄や 旗がなびいている/運動会の時みたい ハタハタと/風に踊って 楽しさがないだけの/何も変わっていない/変革はどこなの わたしも昨日のまま/ただあなたがいないだけの いちょうの木の下

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:東大闘争時に安田講堂の壁に書かれた落書き(著者不詳、渡辺眸撮影『東大全共闘1968―1969』写真掲載、新潮社、2007年)。「パック・イン・ミュージック」への投書(北川ちとえ著、『もう一つの別の広場』所収、ブロンズ社、1969年)

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リリシズムの宝石箱◆石森章太郎『竜神沼』など

石森章太郎のマンガの魅力の一つには、その類いまれな叙情性があると思います。雑誌『COM』に連載された『ジュン』を頂点するであろう、石森章太郎のリリシズムは、初期の少女マンガにその萌芽を見ることができます。今回は、そうした石森章太郎の感性――きらめくリリシズムあふれる作品と、そこに描かれた名セリフをご紹介してみたいと思います。

私が宝物のように大事にしている2冊のマンガ単行本があります。朝日ソノラマ社から発行された『竜神沼(1967年)と『あかんべえ天使(1968年)がそれです。この2冊の単行本、タレントの彦麿呂の言葉を借りるならば、まさしく「リリシズムの宝石箱やぁ!」。

前者には、少年が体験するひと夏の純愛を、静と動の切返し、自然描写と感情表現のみごとなカットバックで表現したファンタジー『竜(画中では「龍」)神沼』、侵略テーマのミステリ『金色の目の少女』、鶴の恩返しと雪女の民話世界がラストの1ページで衝撃的展開を遂げる『雪おんな』、ロバート・ネイサンの『ジェニーの肖像』へのオマージュ『昨日はもうこない だが明日もまた』、そして吸血鬼伝説を1903年のオーストリア、1962年の日本、2008年のアメリカを舞台に、それぞれ霧・薔薇・星のキーワードで描いたSF『きりとばらとほしと』の5編が、Images3 後者には、戦争の傷跡がまだ人々の生活に暗い影を落としている時代のラブロマン『夜は千の目をもっている』、石森版『不思議な国のアリス』ともいえる『虹の世界のサトコ』、大時代的な絵物語『水色の星』、バレエ界を舞台に大人の世界と少女の世界がシンクロする『ガラスのマリ』、名作童話のマンガ版『赤ずきんちゃん』、そして安アパートに暮らす住人の人生模様を、少女の日常から描いた群像劇『あかんべえ天使』の6編が収められています。

これらの短編のなかでも、『竜神沼』『きりとばらとほしと『夜は千の目をもっている、そして『あかんべえ天使』……。以上の4編は、私が特に大好きな名短編です。

リリシズム、という表現手段は、ある意味、マンガでは割と簡単に使える表現手段のように思われがちです。しかし、ただ単に咲き誇る花々や満天の星々をストーリーの間に挿入するだけでは、それは安易な現実逃避や少女趣味となってしまうと思います。たしかに石森章太郎も、こうしたオーソドックスな手段を使ってはいますが、その作品が他者と一線を画してきわだっているのには、もう一つの理由があります。

例えば、『竜神沼』の一シーン。初めて沼を訪ねた少年・研一と、いとこ・ユミとの会話。

「茂りし森の奥深く/黒く声なく沼眠れり…か」「なあに? そのうたみたいの」「うん? ああポオルヴェルレェヌという人の詩の一節さ」

例えば、『きりとばらとほしと』の各章の冒頭にそれぞれ掲げられた、テーマに即したヘッセ、スウィンバーン、ダンテの詩の一節。

例えば、『夜は千の目をもっている』で、要所要所でヒロインが歌う、タイトルの由来にもなっている曲(原詩はイギリスの詩人Francis William Bourdillonの詩)。

夜は千の目をもっている/だけど昼にはただひとつ/日がしずかにしずむとき/この世のすべてのあかりも死んでしまう

夜は千の目をもっている/だけど心にはただひとつ/愛がおわりをつげたとき/いのちのすべてのあかりも死んでしまう

石森章太郎がトキワ荘在住の修行時代から、古今東西の小説や映画などを読みつくし、見つくしたことは有名ですが、こうして蓄積された該博な知識がさりげなく描きこまれることで作品には深みが与えられ、凡百のマンガから一線を画した真の意味でのリリシズムが表現されてきているのだと思います。この2冊に収められた各作品が、もともとは少女向きの雑誌に掲載されていたものであることも、ことさら作風に叙情性・リリシズムが反映していることの理由かもしれませんが、その後の主な活動の場所となる少年向き雑誌に掲載される作品にも、こうしたリリシズムの傾向は顕著に見受けられます。例えば、SF冒険活劇としてスタートした『サイボーグ009の「地下帝国ヨミ編」(1966年)の最終話「地上(ここ)より永遠(とわ)に」のラスト。流れ星になって地上に落ちていくジョウとジェット――夜空を切り裂くその光芒に世界中の人々の幸せを祈る少女……。レイ・ブラッドベリの名短編『万華鏡』がこのオリジナルであることを知るのはずっと後のことですが、私はかつてこれほど美しく、哀しく、そして希望に満ちたシーンを見たことはありませんでした。

しかし、リリシズムという感性は、人の一生のほんのわずかの時期――青春と呼ばれる一時期にしか存在しないようで、晩年の石森章太郎の作品からは、残念ながら画力の完成度と反比例するように消えていってしまいます。

「…かなしい歌だな」「わたしたちみんなの心のように…」

それにしても、こんなセリフが、少女マンガ(『夜は千の目をもっている』)の中でさりげなく使われていること自体、まさに奇跡としか言えませんよね!

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『竜神沼』(石森章太郎作画、『竜神沼』〈サンコミックス6〉所収、朝日ソノラマ、1967年)。『夜は千の目をもっている』(同、『あかんべえ天使』〈同25〉所収、同、1968年)

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始まりは、愛◆石森章太郎『リュウの道』

2009年、明けましておめでとうございます。

2年目を迎えたこのブログ、昨年の実績を見ると忸怩たるものを感じてしまいますね。今年はもっともっと話題を提供して、皆さんの目にとまるよう頑張りたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

さて、新春早々の名セリフは、おめでたく「愛」を語ったものをご紹介してみましょう。

「――われわれをむすび/滅亡から救い成長させるのは/゛愛゛の力以外にはないんだ――」

昨年末はテレビのコマーシャルで、やたらとザ・ビートルズの「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」が流れていました。「愛こそはすべて」という理想は理想としてけっしておろそかにするつもりはありませんが、この年になってくると、「愛」だけではたった一人の飢えた子どもも救うことはできないという現実も十分わかっています。このセリフにしても、今聞いてみると、やたら大上段に振りかぶりすぎて、聞いているこちらの方が恥ずかしくなってきてしまいますが、逆にここまでストレートに言われるとすがすがしささえ感じてしまいますね。もちろん、初めて読んだときの私には、そんなうがった見方などできませんから、ひたすら感動したことを覚えています。

出典は、石森章太郎のSF大作『リュウの道』。その最終章「終末のない終末 始まりのない始まり」の大団円、リュウの最後のセリフがこれでした。このセリフのあとには登場人物の誰のセリフもなく、見開き12ページにわたって、浜辺でのマリアとの再会、はだかで抱きあう二人とそこから生まれる生命の発生過程、子宮に眠る胎児、スターチャイルド、大銀河と黙示録的なシーンが続きます。

人類滅亡後の地球に日本初の恒星間宇宙船フジ1号が着陸してくる冒頭シーン。密航が露見し冷凍睡眠処理されていたことで乗員中の唯一の生き残りとなった柴田リュウ。人類と文明の生き残りを探す旅に出たリュウが目にするのは、食肉植物や野獣、原人、異形のミュータントが跋扈する魔境であり、あるいは、マイノリティーとなった人類を駆逐するロボットが支配する街でした。ようやくコロニーに落ち着き、そこを拠点にリュウら旧人類と異変後の新人類の未来を作ることを誓う第一部。インターミッションの「ブリッジ」を経て始まる第二部も、当初はコロニーに忍び寄る侵略者や外的との戦いを描いていますが、先に述べた最終章あたりから物語の色調が一変します。次々に現れる敵との戦いはアドベンチャー・ロマンとして楽しめますし、魔界横断旅行を経て成長していくリュウの姿はヴィルドゥンクス・ロマンとしても読むことができます。しかし、こうした色彩はすっかり色を潜め、物語はより思弁的な思想性に富んだものへと変化していきます。最終章の「神」との対話シーンは、マンガの可能性を限界にまで高めた表現力、時空間を自在に操ってみせる斬新なコマ割り、文章と絵のコラボレーションと、石森章太郎の円熟した画力とイマジネーションがみごとに溶けあい、センス・オブ・ワンダーの魅力あふれる作品になっています。

このように、『週刊少年マガジン』に、1969年14号から70年52号まで長期にわたって連載された『リュウの道』は、日本の正統的SFマンガの到達点を示すもので、石森章太郎の数多いSFマンガの中でも五本の指に数えられる名作と言って間違いないでしょう。このマンガが連載された60年代末から70年代初期は、かたや日本万国博覧会に代表される「ばら色の未来」が喧伝される一方、深刻化する公害やその被害者をめぐる現実が問題となっていた時代でした。走りに走り続けた戦後日本が、ようやく立ち止まり、周りを見回そうとし始めた、そんな時代だったのでしょう。そうした時代感覚を色濃く受けた『リュウの道』は、当時の少年誌掲載作品としては異例の作品だったと思います。娯楽性が極力抑えられた重厚なテーマ、今では表現不可能な障害者・ミュータントなどのリアルな描写。人気のみが重要視される昨今の連載マンガ状況から考えれば打ち切り確実の作品を、最後まで2年近く掲載し続けてくれた講談社の英断には驚かされます。「神」との対話を終え、宇宙的生命として覚醒したリュウは、先のセリフをつぶやき、マリアたち仲間のもとに帰ることを決意します。

同じ頃、石森章太郎は雑誌『COM』に、代表作『サイボーグ009』の新シリーズ「神々との闘い編」の連載を開始します(1969年10月号~70年12月号)。こちらも従来の冒険活劇調から一転、思想性を深めた実験的な作品に仕上がっています(大半の009フリークからはスポイルされたようですが)。石森章太郎自身にとっても、両作品は少年マンガから、いわゆる劇画へスタイルを変えていこうとする過渡期の作品であったのです。

同時代を生きた手塚治虫に関しては作品論や作家論など多くの著作が上梓されています。マンガ家としての石森章太郎への評価は高いものがあり、没後の人気だって手塚治虫に劣るものはありません。それだけに、きちんとした研究がなされていないことは残念でたまりません。今年、2009年を、末尾三桁の009にちなみ『サイボーグ009』の年と位置づけ、キャンペーンが進むと聞いていますが、どうか商業主義に陥ることなく、これを期に石森章太郎に関する研究が進み、成果があがることを祈っています。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『リュウの道』8(石森章太郎作画、『講談社コミックス』121、講談社、1971年)

注:後年、石森章太郎は「石ノ森」と改姓しますが、今回の表記は作品発表時の名前をそのまま使用しています。

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