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始まりは、愛◆石森章太郎『リュウの道』

2009年、明けましておめでとうございます。

2年目を迎えたこのブログ、昨年の実績を見ると忸怩たるものを感じてしまいますね。今年はもっともっと話題を提供して、皆さんの目にとまるよう頑張りたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

さて、新春早々の名セリフは、おめでたく「愛」を語ったものをご紹介してみましょう。

「――われわれをむすび/滅亡から救い成長させるのは/゛愛゛の力以外にはないんだ――」

昨年末はテレビのコマーシャルで、やたらとザ・ビートルズの「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」が流れていました。「愛こそはすべて」という理想は理想としてけっしておろそかにするつもりはありませんが、この年になってくると、「愛」だけではたった一人の飢えた子どもも救うことはできないという現実も十分わかっています。このセリフにしても、今聞いてみると、やたら大上段に振りかぶりすぎて、聞いているこちらの方が恥ずかしくなってきてしまいますが、逆にここまでストレートに言われるとすがすがしささえ感じてしまいますね。もちろん、初めて読んだときの私には、そんなうがった見方などできませんから、ひたすら感動したことを覚えています。

出典は、石森章太郎のSF大作『リュウの道』。その最終章「終末のない終末 始まりのない始まり」の大団円、リュウの最後のセリフがこれでした。このセリフのあとには登場人物の誰のセリフもなく、見開き12ページにわたって、浜辺でのマリアとの再会、はだかで抱きあう二人とそこから生まれる生命の発生過程、子宮に眠る胎児、スターチャイルド、大銀河と黙示録的なシーンが続きます。

人類滅亡後の地球に日本初の恒星間宇宙船フジ1号が着陸してくる冒頭シーン。密航が露見し冷凍睡眠処理されていたことで乗員中の唯一の生き残りとなった柴田リュウ。人類と文明の生き残りを探す旅に出たリュウが目にするのは、食肉植物や野獣、原人、異形のミュータントが跋扈する魔境であり、あるいは、マイノリティーとなった人類を駆逐するロボットが支配する街でした。ようやくコロニーに落ち着き、そこを拠点にリュウら旧人類と異変後の新人類の未来を作ることを誓う第一部。インターミッションの「ブリッジ」を経て始まる第二部も、当初はコロニーに忍び寄る侵略者や外的との戦いを描いていますが、先に述べた最終章あたりから物語の色調が一変します。次々に現れる敵との戦いはアドベンチャー・ロマンとして楽しめますし、魔界横断旅行を経て成長していくリュウの姿はヴィルドゥンクス・ロマンとしても読むことができます。しかし、こうした色彩はすっかり色を潜め、物語はより思弁的な思想性に富んだものへと変化していきます。最終章の「神」との対話シーンは、マンガの可能性を限界にまで高めた表現力、時空間を自在に操ってみせる斬新なコマ割り、文章と絵のコラボレーションと、石森章太郎の円熟した画力とイマジネーションがみごとに溶けあい、センス・オブ・ワンダーの魅力あふれる作品になっています。

このように、『週刊少年マガジン』に、1969年14号から70年52号まで長期にわたって連載された『リュウの道』は、日本の正統的SFマンガの到達点を示すもので、石森章太郎の数多いSFマンガの中でも五本の指に数えられる名作と言って間違いないでしょう。このマンガが連載された60年代末から70年代初期は、かたや日本万国博覧会に代表される「ばら色の未来」が喧伝される一方、深刻化する公害やその被害者をめぐる現実が問題となっていた時代でした。走りに走り続けた戦後日本が、ようやく立ち止まり、周りを見回そうとし始めた、そんな時代だったのでしょう。そうした時代感覚を色濃く受けた『リュウの道』は、当時の少年誌掲載作品としては異例の作品だったと思います。娯楽性が極力抑えられた重厚なテーマ、今では表現不可能な障害者・ミュータントなどのリアルな描写。人気のみが重要視される昨今の連載マンガ状況から考えれば打ち切り確実の作品を、最後まで2年近く掲載し続けてくれた講談社の英断には驚かされます。「神」との対話を終え、宇宙的生命として覚醒したリュウは、先のセリフをつぶやき、マリアたち仲間のもとに帰ることを決意します。

同じ頃、石森章太郎は雑誌『COM』に、代表作『サイボーグ009』の新シリーズ「神々との闘い編」の連載を開始します(1969年10月号~70年12月号)。こちらも従来の冒険活劇調から一転、思想性を深めた実験的な作品に仕上がっています(大半の009フリークからはスポイルされたようですが)。石森章太郎自身にとっても、両作品は少年マンガから、いわゆる劇画へスタイルを変えていこうとする過渡期の作品であったのです。

同時代を生きた手塚治虫に関しては作品論や作家論など多くの著作が上梓されています。マンガ家としての石森章太郎への評価は高いものがあり、没後の人気だって手塚治虫に劣るものはありません。それだけに、きちんとした研究がなされていないことは残念でたまりません。今年、2009年を、末尾三桁の009にちなみ『サイボーグ009』の年と位置づけ、キャンペーンが進むと聞いていますが、どうか商業主義に陥ることなく、これを期に石森章太郎に関する研究が進み、成果があがることを祈っています。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『リュウの道』8(石森章太郎作画、『講談社コミックス』121、講談社、1971年)

注:後年、石森章太郎は「石ノ森」と改姓しますが、今回の表記は作品発表時の名前をそのまま使用しています。

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