« 始まりは、愛◆石森章太郎『リュウの道』 | トップページ | 夢の名残り◆「パック・イン・ミュージック」への投書など »

リリシズムの宝石箱◆石森章太郎『竜神沼』など

石森章太郎のマンガの魅力の一つには、その類いまれな叙情性があると思います。雑誌『COM』に連載された『ジュン』を頂点するであろう、石森章太郎のリリシズムは、初期の少女マンガにその萌芽を見ることができます。今回は、そうした石森章太郎の感性――きらめくリリシズムあふれる作品と、そこに描かれた名セリフをご紹介してみたいと思います。

私が宝物のように大事にしている2冊のマンガ単行本があります。朝日ソノラマ社から発行された『竜神沼(1967年)と『あかんべえ天使(1968年)がそれです。この2冊の単行本、タレントの彦麿呂の言葉を借りるならば、まさしく「リリシズムの宝石箱やぁ!」。

前者には、少年が体験するひと夏の純愛を、静と動の切返し、自然描写と感情表現のみごとなカットバックで表現したファンタジー『竜(画中では「龍」)神沼』、侵略テーマのミステリ『金色の目の少女』、鶴の恩返しと雪女の民話世界がラストの1ページで衝撃的展開を遂げる『雪おんな』、ロバート・ネイサンの『ジェニーの肖像』へのオマージュ『昨日はもうこない だが明日もまた』、そして吸血鬼伝説を1903年のオーストリア、1962年の日本、2008年のアメリカを舞台に、それぞれ霧・薔薇・星のキーワードで描いたSF『きりとばらとほしと』の5編が、Images3 後者には、戦争の傷跡がまだ人々の生活に暗い影を落としている時代のラブロマン『夜は千の目をもっている』、石森版『不思議な国のアリス』ともいえる『虹の世界のサトコ』、大時代的な絵物語『水色の星』、バレエ界を舞台に大人の世界と少女の世界がシンクロする『ガラスのマリ』、名作童話のマンガ版『赤ずきんちゃん』、そして安アパートに暮らす住人の人生模様を、少女の日常から描いた群像劇『あかんべえ天使』の6編が収められています。

これらの短編のなかでも、『竜神沼』『きりとばらとほしと『夜は千の目をもっている、そして『あかんべえ天使』……。以上の4編は、私が特に大好きな名短編です。

リリシズム、という表現手段は、ある意味、マンガでは割と簡単に使える表現手段のように思われがちです。しかし、ただ単に咲き誇る花々や満天の星々をストーリーの間に挿入するだけでは、それは安易な現実逃避や少女趣味となってしまうと思います。たしかに石森章太郎も、こうしたオーソドックスな手段を使ってはいますが、その作品が他者と一線を画してきわだっているのには、もう一つの理由があります。

例えば、『竜神沼』の一シーン。初めて沼を訪ねた少年・研一と、いとこ・ユミとの会話。

「茂りし森の奥深く/黒く声なく沼眠れり…か」「なあに? そのうたみたいの」「うん? ああポオルヴェルレェヌという人の詩の一節さ」

例えば、『きりとばらとほしと』の各章の冒頭にそれぞれ掲げられた、テーマに即したヘッセ、スウィンバーン、ダンテの詩の一節。

例えば、『夜は千の目をもっている』で、要所要所でヒロインが歌う、タイトルの由来にもなっている曲(原詩はイギリスの詩人Francis William Bourdillonの詩)。

夜は千の目をもっている/だけど昼にはただひとつ/日がしずかにしずむとき/この世のすべてのあかりも死んでしまう

夜は千の目をもっている/だけど心にはただひとつ/愛がおわりをつげたとき/いのちのすべてのあかりも死んでしまう

石森章太郎がトキワ荘在住の修行時代から、古今東西の小説や映画などを読みつくし、見つくしたことは有名ですが、こうして蓄積された該博な知識がさりげなく描きこまれることで作品には深みが与えられ、凡百のマンガから一線を画した真の意味でのリリシズムが表現されてきているのだと思います。この2冊に収められた各作品が、もともとは少女向きの雑誌に掲載されていたものであることも、ことさら作風に叙情性・リリシズムが反映していることの理由かもしれませんが、その後の主な活動の場所となる少年向き雑誌に掲載される作品にも、こうしたリリシズムの傾向は顕著に見受けられます。例えば、SF冒険活劇としてスタートした『サイボーグ009の「地下帝国ヨミ編」(1966年)の最終話「地上(ここ)より永遠(とわ)に」のラスト。流れ星になって地上に落ちていくジョウとジェット――夜空を切り裂くその光芒に世界中の人々の幸せを祈る少女……。レイ・ブラッドベリの名短編『万華鏡』がこのオリジナルであることを知るのはずっと後のことですが、私はかつてこれほど美しく、哀しく、そして希望に満ちたシーンを見たことはありませんでした。

しかし、リリシズムという感性は、人の一生のほんのわずかの時期――青春と呼ばれる一時期にしか存在しないようで、晩年の石森章太郎の作品からは、残念ながら画力の完成度と反比例するように消えていってしまいます。

「…かなしい歌だな」「わたしたちみんなの心のように…」

それにしても、こんなセリフが、少女マンガ(『夜は千の目をもっている』)の中でさりげなく使われていること自体、まさに奇跡としか言えませんよね!

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『竜神沼』(石森章太郎作画、『竜神沼』〈サンコミックス6〉所収、朝日ソノラマ、1967年)。『夜は千の目をもっている』(同、『あかんべえ天使』〈同25〉所収、同、1968年)

|

« 始まりは、愛◆石森章太郎『リュウの道』 | トップページ | 夢の名残り◆「パック・イン・ミュージック」への投書など »

マンガ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/517638/27059807

この記事へのトラックバック一覧です: リリシズムの宝石箱◆石森章太郎『竜神沼』など:

« 始まりは、愛◆石森章太郎『リュウの道』 | トップページ | 夢の名残り◆「パック・イン・ミュージック」への投書など »