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2009年2月

銀座旭屋書店前の奇跡◆庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』

今を去ること30数年前の春まだ浅いある日、私は早稲田大学から高田馬場駅に続く早稲田通りを、一人とぼとぼと歩いていました。その日発表のあった早稲田大学教育学部入学試験の結果は、不合格。これで私は、その年チャレンジしたすべての大学受験に失敗してしまい、浪人生活が決定したのでした。春本番を思わせるうららかな陽射しとはうらはらに、さすがに受験全敗のショックは大きく、またこれから始まる1年間(考えたくはありませんが、あるいはそれ以上)の浪人生活を思うと、自然と足取りも重くなっていました。入学関係書類の入った袋を手に、軽やかなステップで私を追い抜いていく男女に羨望と嫉妬のまなざしを向け、心の中では「けっ、現役で入るやつなんて苦労知らずの坊っちゃんだ」と変なごまかしで自分を慰めていた私は、ふと一軒の古本屋の前で足を止めました。

コンビニエンスストアとゲームセンターばかりが目立つ今の早稲田通りと違って、当時、通りには多くの古本屋が並んでいました。目の前の何の変哲もない古本屋になぜ入ってしまったのかは覚えていませんが、何かに導かれるように入った店の棚に、その本は3冊がまとめてひもでしばって置かれていました。「人が本を手にとる時、それは本に呼ばれているのだ」という言葉がありますが、あの日の出会いを思い起こすたびに、この世の中には数はきわめて少ないものの、確かに自分のために用意された小説は存在しているのだと思わずにはいられません。

その店で、のちに「薫くんシリーズ四部作」と呼ばれる庄司薫の小説中、刊行済みだった『赤頭巾ちゃん気をつけて』『さよなら快傑黒頭巾』『白鳥の歌なんか聞えない』の3冊の古本を買い込んだ私は、その夜、ほとんど一気読みで全冊を読み終えました。それまでおもに国産あるいは海外のSF小説ばかりを読んでいた私にとって、この種の小説はほとんんど初体験に近いものでした。おそらく早大生が売り払ったであろうこの3冊には、いたるところに、彼、もしくは彼女による赤鉛筆のしるしがつけられていました。私とそれほど年齢も違わないであろう以前の読者が残した感銘の名残り――それは、そのまま私に受け継がれ、より増幅されていったのです。

ところで、この「薫くんシリーズ四部作」の書名の一部にたくみに取り込まれている赤・黒・白・青の4色は、今でも大相撲の土俵を囲む垂れ房の4色と同じで、これは古代中国から日本に伝えられた四神思想をルーツに持つ世界観の表象にほかなりません。すなわち、青龍・朱雀・白虎・玄武の霊獣には、それぞれ五行思想に基づいて青・赤・白・黒の4色が配されていて、同時にそれは春夏秋冬・東南西北という、時間と空間で構成されているこの世界全体を表わす四つの色でもあるわけです。

東京大学の入学試験が中止された1969年の2月から、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功したその年の7月までの約半年間に、主人公の薫くんが体験した四つの物語からなるこのシリーズは、一つ一つの作品はもちろん優れた青春小説であることに間違いはありませんが、書名にこめられた作者の想いを考えてみれば、あたかもドン・キホーテの見果てぬ夢を追い求めた歴程にも似て、当時の若者たちを取りまく時代や世界を遍歴、彷徨する薫くんの冒険譚といったとらえ方もあるのではないでしょうか。というわけで、今回の『赤頭巾ちゃん気をつけて』を手はじめに、物語の舞台となった季節に合わせて「薫くんシリーズ」に表われた名セリフと、その世界を追いかけてみたいと思います。

さて、シリーズ第一作の『赤頭巾ちゃん気をつけて』。 1969年に雑誌『中央公論』5月号誌上に発表され、そのままその年の第61回芥川賞を受賞、単行本化されるや大ベストセラーになるという、華やかな経歴を持つ作品ですが、サリンジャーばりの文体(実際は、訳者野崎孝の名訳ばり、ということになるのでしょうが)の清新さ、登場人物のみずみずしい感性のすばらしさ、などの賞賛の声ばかりが鼻につき、「へそ曲がり」を自認する私は、手にとることもないままになっていたのでした。

ところが読んでみると、そうした先入観はもののみごとに崩れ去りました。甘っちょろいほどのやさしさにあふれた『赤頭巾ちゃん気をつけて』はもちろん、学生運動に挫折した先輩たちへの鎮魂歌を思わせる『さよなら快傑黒頭巾』、そして生と死のあわいで心揺れる若者像を描いた『白鳥の歌なんか聞えない』――そのどれもが、当時の私の心情とぴったりと合わさり、空白だったすき間をふさいでくれたのです。その後、心くじけそうになるたびに、私は何度このシリーズを読み返したことでしょう。「みんなを幸福にするにはどうすればいいか」――薫くんのこの問いかけに答えを出そうとすることで、私は「青春」と呼ばれる季節を、まがりなりにも生きぬくことができたのだと思っているのです。

本シリーズの主人公の薫くんこと庄司薫は、都立日比谷高校を卒業したばかりの18歳。山手線某駅近くの、お手伝いさんがいるお金持ちの家に住む男の子です。5人兄弟の末っ子で、4人の兄たちはすでに家を出ています。学校群以前の日比谷高校出身ですから、当然、成績優秀の優等生。もちろん目指すのは東京大学。近所には幼なじみで、ガールフレンドの下条由美(薫くん呼ぶところの「由美ちゃん」)が住んでいて、テニスをしたり散歩をしたり仲良くつきあっています。この由美ちゃんがものすごく魅力的な女の子――美人で、頭の回転が速くて、おしゃれで、おセンチで、生意気で、それでいて「すぐ舌かんで死んじゃいたい気持になる」ようなデリケートな女の子なのです。この、私にとって永遠の憧れの女性、由美ちゃんについては、シリーズ中、もっとも彼女の魅力がきわだつ第三作『白鳥の歌なんか聞えない』の回で詳しくお話ししたいと思います。さて、薫くんですが、その優柔不断ぶりと、頼りなさのせいもあるのでしょうか、由美ちゃん以外に女性にもモテモテで、『赤頭巾ちゃん気をつけて』では年上の女医さんの誘惑を受けたりします。

このようにうらやましい限りの恵まれた環境、条件の下、何一つ不自由などないはずの薫くんですが、1969年2月9日、日曜日の彼は、最低最悪の状態にありました。志望大学の東京大学は、学生運動の混乱を理由に早々とその年の入試中止を決定してしまうし、12年間飼っていた愛犬は死んでしまうし、薫くん自身も廊下に置いてあったスキーのストックを蹴っ飛ばして左足親指の生爪をはがすという大けがを負ってしまいます。物語は、そんな薫くんの一日を、彼自身の一人称で淡々とつづっていきます。

現在の青春小説に比べれば、ストーリー展開は退屈するくらいにゆっくりと進んでいくし、これといった事件や刺激的なできごとも起こりません。当然、カタルシスもないわけで、現在の小説に慣れた若い読者は戸惑ってしまうことでしょう。また、随所に書かれている冗漫で理屈っぽいモノローグや友人との会話、衒学的な知識披露に辟易する若者も少なくないでしょう。

何ごともなかったように冬の一日が終わるころ、薫くんは満ち足りない想いを抱いて、一人で銀座に出かけます。日曜日の夕方の銀座――あふれかえる雑踏の中、薫くんは孤独でした。人ごみに流されるように、生爪をはがした足を引きずりながら数寄屋橋からソニービルを経て四丁目交差点に向かう薫くんは、資金カンパを募る学生たちに、突然うさんくささを感じ、猛烈な不信感、反撥心を抱きます。この不意の感情はまたたく間に負の連鎖となって、次第に街を行きかう見知らぬ人々をはじめ、都市や社会や文化や世界といった自分を取りまくすべてのものに対する憎悪にまでふくれあがっていきます。

すっかりダメになりかけた薫くん。しかし、この絶対的危機にあって、それらの負の感情を一気に吹き消すような奇跡が訪れます。その奇跡を運んできてくれたのは、旭屋書店の前で立ちつくす薫くんの左足親指を思い切り踏みつけた小さな女の子でした。黄色いコートに、黄色い大きなリボンをつけたその女の子に頼まれて『あかずきんちゃん』の童話を選んであげた薫くんに、別れぎわ、彼女ははにかんだ眩しげな表情で微笑みかけてくれたのです――「気をつけて」と叫んだ薫くんに向かって、「あなたも気をつけて」と言うように……。そう、たったこれだけのことが、固く閉ざされかけた薫くんの心を開いてくれたのです。2008年に閉店となり、今はない旭屋書店銀座店前で、一つの奇跡が起こったのです。

物語の終幕。由美ちゃんと夜の街を歩きながら今日一日のできごと、何より銀座で出会った女の子の話しを心をこめて語り終えた薫くんがたどりついた決心は、そのまま私にとっての決心にほかなりませんでした。

ぼくは海のような男になろう、あの大きな大きなそしてやさしい海のような男に。そのなかでは、この由美のやつがもうなにも気をつかったり心配したり嵐を怖れたりなんかしないで、無邪気なお魚みたいに楽しく泳いだりはしゃいだり暴れたりできるような、そんな大きくて深くてやさしい海のような男になろう。ぼくは森のような男になろう。たくましくて静かな大きい木のいっぱいはえた森みたいな男に。そのなかでは美しい金色の木もれ陽が静にきらめいていて、みんながやさしい気持になってお花を摘んだり動物とふざけたりお弁当をひろげたり笑ったり歌ったりできるような、そんなのびやかで力強い素直な森のような男になろう。そして、ちょうど戦い疲れた戦士たちがふと海の匂い森の香りを懐かしんだりするように、この大きな世界の戦場で戦いに疲れ傷つきふと何もかも空しくなった人たちが、何故とはなしにぼくのことをふっと思いうかべたりして、そしてなんとはなしに微笑んだりおしゃべりしたり散歩したりしたくなるような、そんな、そんな男になろう……。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『赤頭巾ちゃん気をつけて』(庄司薫著、中央公論社、1969年)

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いつか見た〈革命〉◆真崎守『男たちのバラード』

少しでも日本の歴史を勉強した人ならご存知かと思いますが、日本の歴史において、いまだかつて一度たりとも〈革命〉が実現したことはありません。もちろん、長い歴史のうちには、大化改新(最近では乙巳の変と呼ぶことが多いようです)、鎌倉武家政権成立、明治維新、そして、アジア太平洋戦争敗戦後の諸改革など、〈革命〉らしきものは何度かありました。しかし、過激な変革を嫌い、何事にも中庸を好む日本人特有の国民性からでしょうか、西欧の血であがなわれた歴史に比べれば、それらはいずれの中途半端なもので、とても真の〈革命〉と言えるようなものではありませんでした。

それでも、数少ないチャンスは確実に存在しました。例えば、織田信長の天下統一。もし、信長が本能寺の変に斃れることなく天下統一への歩みを続けていたならば、天皇制や公家制度といった旧支配体制、あるいは仏教など既成宗教(おそらく利用後のキリスト教も)などは根こそぎされ、旧来の慣習や価値観を一掃した、まったく新しい歴史が創られていたことは、まず間違いないでしょう。歴史に「if」を求めても詮無いことですが、日本の歴史が根本から変わるまさに千載一遇のチャンスだったのです。

そして、おそらくは最後のチャンスであったろう、もう一つの機会が、60年代後半の全共闘運動を出発点とする一連の新左翼運動だったのではないでしょうか。運動に直接参加し、権力と闘い、血を流したのは主に学生・労働者たちでしたが、日本中の数多くの市民が、それぞれの立場や手段で彼らを支援し、権力に抗したのです。日本史上初の市民革命に向けての圧倒的ムーブメントが国内を席巻し、誰もが等しく〈革命〉の成就を夢見た季節でした。

みずからも日大闘争に参加していた経歴を持つ斎藤次郎は、こう言い放ちます。

歴史といい、革命と叫んだところで、それらは集合名詞でしかない。集合の個々の要素に通底する熱い思いは、さまざまなリアクションを周辺にまき散らし、それらの交錯の中から、ときには個人の思いを超えたリアリティがはじけとぶ。ぼくたちはそのリアリティの連続性を歴史とよぶのだし、その凝縮された過程を革命とよぶのだ。

こうした状況下に、マンガ家たちもけっして無関心でいられなかったようで、ベテランや若手の区別、少年マンガや劇画の区別に関係なく、多くのマンガ家たちがそれぞれのスタイルでこの政治に季節をテーマにした作品を発表しました。

そうした一人が、デビュー間もない真崎守でした。60年代後半から70年代初期にかけて、真崎守は精力的に幕末を舞台にした作品を発表していきます。現代の情勢を幕末の風雲期に投影することで、そこから逆に現代を考えようとした試みだったのでしょう。発表誌はもちろん、登場人物も別個で、ストーリーも関連性を持たないそうした作品群は、のちに『真崎守選集』全20巻が編まれた際に、『男たちのバラード―連作/燃えつきた奴ら―』としてまとめられることになります。選集収載にあたって、真崎守はオリジナルに徹底的に手を加え、大胆な再構成・再編集を行なっています。この行為は、ただ単に収載ページ数のつごうからつじつま合わせに分量を削っただけではなく、作品によってはストーリーや主題すら変更してしまい、まったく違う作品に生まれ変わっているものもあります。なかでも特筆すべきは、1974年12月に『週刊サンデー毎日』に掲載された『回転』です。何とこの作品は、大きく二つに分解され、前半は本書全体のプロローグに、後半は他作品と組み合わされ『ほのかたらひし』になっているのです。

本書に収められた10編のうち、私がもっとも気に入っている作品が『狂乱囃子』です。『コミックVAN』1968年4月3日号から12月26日号まで連載された『連作/燃えつきた奴ら/幕末刺客行/新撰組篇』シリーズの一編『地獄囃子』が本作のオリジナルです。私はこのオリジナルは読んでいませんが、やはり選集収載にあたり大幅な再構成がなされているようです。

物語は、幕末の京都。主人公の高山要三は新撰組隊士として京の治安維持に奔走するかたわら、ふとしたきっかけで知り合った町娘のお芳の両親を殺した犯人を捜してもいます。近藤勇、土方歳三、沖田総司らとの日々は一見穏やかにすぎていきますが、京のちまたでは勤皇と佐幕、攘夷派と開国派、討幕派と幕府側が対立し、テロが続く毎日です。長州藩浪士による焼き討ち計画の情報を入手した新撰組は、笛と太鼓と鐘の音が聞こえる祇園祭宵宮の夜、浪士(首謀者の一人がお芳の両親殺しの犯人)が潜む池田屋を襲撃します。世に名高い池田屋事件です。乱戦のさなか、高山は犯人と対決し、彼の刀は犯人の体を刺しぬきます。「お芳さんの両親の仇」と叫ぶ高山に、瀕死の犯人はこう言って息を引き取ります。

「いつかきっと/今の事を/思い出す時が/くるだろう。今度人を/斬る時は/自分の為の/理由を/もちたまえ」

他人のためではなく、自分自身のために剣を使え――それこそが、真崎守が幕末日本に生きた群像を通して当時の日本人に伝えたかったメッセージではないでしょうか。組織のためではなく、自分のために闘おう。大義名分や観念的な理論に振り回されるのではなく、自分の夢や求めるもののために闘おう。

物語のエピローグ、局中法度を例に脱走できない立場をお芳に伝える高山。一人残され、たたずむお芳……。しかし、次の見開き2ページにわたってサイレントで描かれているのは、新撰組隊士と斬りあう高山の姿。――それは、「自分の為の理由を」持って――脱走し、お芳と二人で生きるために「人を斬る」高山の姿にほかなりません。結末を明らかにすることなく斬りあいは暗転し、ラストの1ページへ。1ページ大に描かれた東寺の塔のシルエット。塔上の虚空に書かれた名セリフが、これです。

幕末は/陽炎にも似た/時代だ

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『男たちのバラード』(真崎守作画・斎藤次郎解説、『真崎守選集』1、ブロンズ社、1978年)

注:本選集全巻の解説を執筆した教育評論家で優れたマンガ原作者でもある斎藤次郎は、2007年9月、大麻取締法違反の現行犯で逮捕されました。その後の経過について詳しいことは判りませんが、現在、そのブログは閉鎖され、活動は休止しているようです。

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