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いつか見た〈革命〉◆真崎守『男たちのバラード』

少しでも日本の歴史を勉強した人ならご存知かと思いますが、日本の歴史において、いまだかつて一度たりとも〈革命〉が実現したことはありません。もちろん、長い歴史のうちには、大化改新(最近では乙巳の変と呼ぶことが多いようです)、鎌倉武家政権成立、明治維新、そして、アジア太平洋戦争敗戦後の諸改革など、〈革命〉らしきものは何度かありました。しかし、過激な変革を嫌い、何事にも中庸を好む日本人特有の国民性からでしょうか、西欧の血であがなわれた歴史に比べれば、それらはいずれの中途半端なもので、とても真の〈革命〉と言えるようなものではありませんでした。

それでも、数少ないチャンスは確実に存在しました。例えば、織田信長の天下統一。もし、信長が本能寺の変に斃れることなく天下統一への歩みを続けていたならば、天皇制や公家制度といった旧支配体制、あるいは仏教など既成宗教(おそらく利用後のキリスト教も)などは根こそぎされ、旧来の慣習や価値観を一掃した、まったく新しい歴史が創られていたことは、まず間違いないでしょう。歴史に「if」を求めても詮無いことですが、日本の歴史が根本から変わるまさに千載一遇のチャンスだったのです。

そして、おそらくは最後のチャンスであったろう、もう一つの機会が、60年代後半の全共闘運動を出発点とする一連の新左翼運動だったのではないでしょうか。運動に直接参加し、権力と闘い、血を流したのは主に学生・労働者たちでしたが、日本中の数多くの市民が、それぞれの立場や手段で彼らを支援し、権力に抗したのです。日本史上初の市民革命に向けての圧倒的ムーブメントが国内を席巻し、誰もが等しく〈革命〉の成就を夢見た季節でした。

みずからも日大闘争に参加していた経歴を持つ斎藤次郎は、こう言い放ちます。

歴史といい、革命と叫んだところで、それらは集合名詞でしかない。集合の個々の要素に通底する熱い思いは、さまざまなリアクションを周辺にまき散らし、それらの交錯の中から、ときには個人の思いを超えたリアリティがはじけとぶ。ぼくたちはそのリアリティの連続性を歴史とよぶのだし、その凝縮された過程を革命とよぶのだ。

こうした状況下に、マンガ家たちもけっして無関心でいられなかったようで、ベテランや若手の区別、少年マンガや劇画の区別に関係なく、多くのマンガ家たちがそれぞれのスタイルでこの政治に季節をテーマにした作品を発表しました。

そうした一人が、デビュー間もない真崎守でした。60年代後半から70年代初期にかけて、真崎守は精力的に幕末を舞台にした作品を発表していきます。現代の情勢を幕末の風雲期に投影することで、そこから逆に現代を考えようとした試みだったのでしょう。発表誌はもちろん、登場人物も別個で、ストーリーも関連性を持たないそうした作品群は、のちに『真崎守選集』全20巻が編まれた際に、『男たちのバラード―連作/燃えつきた奴ら―』としてまとめられることになります。選集収載にあたって、真崎守はオリジナルに徹底的に手を加え、大胆な再構成・再編集を行なっています。この行為は、ただ単に収載ページ数のつごうからつじつま合わせに分量を削っただけではなく、作品によってはストーリーや主題すら変更してしまい、まったく違う作品に生まれ変わっているものもあります。なかでも特筆すべきは、1974年12月に『週刊サンデー毎日』に掲載された『回転』です。何とこの作品は、大きく二つに分解され、前半は本書全体のプロローグに、後半は他作品と組み合わされ『ほのかたらひし』になっているのです。

本書に収められた10編のうち、私がもっとも気に入っている作品が『狂乱囃子』です。『コミックVAN』1968年4月3日号から12月26日号まで連載された『連作/燃えつきた奴ら/幕末刺客行/新撰組篇』シリーズの一編『地獄囃子』が本作のオリジナルです。私はこのオリジナルは読んでいませんが、やはり選集収載にあたり大幅な再構成がなされているようです。

物語は、幕末の京都。主人公の高山要三は新撰組隊士として京の治安維持に奔走するかたわら、ふとしたきっかけで知り合った町娘のお芳の両親を殺した犯人を捜してもいます。近藤勇、土方歳三、沖田総司らとの日々は一見穏やかにすぎていきますが、京のちまたでは勤皇と佐幕、攘夷派と開国派、討幕派と幕府側が対立し、テロが続く毎日です。長州藩浪士による焼き討ち計画の情報を入手した新撰組は、笛と太鼓と鐘の音が聞こえる祇園祭宵宮の夜、浪士(首謀者の一人がお芳の両親殺しの犯人)が潜む池田屋を襲撃します。世に名高い池田屋事件です。乱戦のさなか、高山は犯人と対決し、彼の刀は犯人の体を刺しぬきます。「お芳さんの両親の仇」と叫ぶ高山に、瀕死の犯人はこう言って息を引き取ります。

「いつかきっと/今の事を/思い出す時が/くるだろう。今度人を/斬る時は/自分の為の/理由を/もちたまえ」

他人のためではなく、自分自身のために剣を使え――それこそが、真崎守が幕末日本に生きた群像を通して当時の日本人に伝えたかったメッセージではないでしょうか。組織のためではなく、自分のために闘おう。大義名分や観念的な理論に振り回されるのではなく、自分の夢や求めるもののために闘おう。

物語のエピローグ、局中法度を例に脱走できない立場をお芳に伝える高山。一人残され、たたずむお芳……。しかし、次の見開き2ページにわたってサイレントで描かれているのは、新撰組隊士と斬りあう高山の姿。――それは、「自分の為の理由を」持って――脱走し、お芳と二人で生きるために「人を斬る」高山の姿にほかなりません。結末を明らかにすることなく斬りあいは暗転し、ラストの1ページへ。1ページ大に描かれた東寺の塔のシルエット。塔上の虚空に書かれた名セリフが、これです。

幕末は/陽炎にも似た/時代だ

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『男たちのバラード』(真崎守作画・斎藤次郎解説、『真崎守選集』1、ブロンズ社、1978年)

注:本選集全巻の解説を執筆した教育評論家で優れたマンガ原作者でもある斎藤次郎は、2007年9月、大麻取締法違反の現行犯で逮捕されました。その後の経過について詳しいことは判りませんが、現在、そのブログは閉鎖され、活動は休止しているようです。

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