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君にモクレンの花を贈りたい◆庄司薫『白鳥の歌なんか聞えない』

この季節、例えば思わぬ深酒に酩酊した深夜、後悔の念にさいなまれながらの帰宅の途中、ただよってくる甘い香りにふと足を止めることがあります。春の訪れを告げるような、どこか懐かしい香りに見上げれば――そこには、夜目にも白いハクモクレンの花が、今を盛りとばかりに枝いっぱいに咲き誇っているのです……。

映画会社の東宝は、庄司薫原作の「薫くんシリーズ四部作」のうち、第一作の『赤頭巾ちゃん気をつけて』と、三作目この『白鳥の歌なんか聞えない』の二作を、それぞれ1970年と72年に、森谷司郎監督と渡辺邦彦監督で映画化しています。両方とも主人公の薫くんは岡田祐介が演じ、ヒロイン由美ちゃんは第一作では森和代(のちの森本レオ夫人)が、第二作では公募で選ばれた新人、本田みちこが演じています。ところで、私と「薫くんシリーズ」との出会いは小説版が初めてではなく、実は1972年公開の映画版『白鳥の歌なんか聞えない』が最初でした。当時、高校生だった私は、友人(もちろん男性)と二人で、熊井啓監督、栗原小巻と加藤剛主演の『忍ぶ川』を見に行ったのです。まったく何を考えて男二人で出かけていったのかわかりませんが、その『忍ぶ川』との同時上映が『白鳥の歌なんか聞えない』でした。お目当ての『忍ぶ川』にはもちろん感動しましたが、『白鳥の歌なんか聞えない』からはそれ以上の衝撃を受けました。

加山雄三の「若大将シリーズ」に代表されるように、青春映画の中でも都会的センスにあふれた明朗快活な作品を得意としていた東宝は、当時、大きな曲がり角に立っていました。時代の趨勢は、毒気のない明るいだけの青春映画を時代遅れの過去の遺物と葬り去ろうとしつつあり、同じ青春映画でもハッピーエンドで終わるだけの作品よりも、もっと問題意識を持った作品や反体制的な色合いを明確にした作品が求められるようになっていました。こうした東宝青春映画の変遷については、別の機会にあらためてお話ししようと思いますが、『赤頭巾ちゃん気をつけて』『白鳥の歌なんか聞えない』の2作は、東宝青春映画過渡期の作品の好例としても位置づけられるのだと思います。

『赤頭巾ちゃん気をつけて』の約一月半後、1969年3月19日から24日までの6日間を舞台にした『白鳥の歌なんか聞えない』のテーマは、ずばり「生と死」です。そして、前にもお話ししましたようにヒロインの由美ちゃんの魅力が四部作中もっともよく描かれているのが、この作品だと思います。

冬が終わりすべての生命が芽生える春のただなかにあって、そこに背中合わせにある死の存在……。ふとしたきっかけで、死の床についている全身これ知性の塊みたいな老人の介護をすることになった由美ちゃんには、いつものような明るさや、薫くんをリードするしっかりしたところもありません。それどころか、情緒不安定で、ちょっと変なのです。突然、縫いぐるみの耳に隠して「あなたがとてもとても好きです」なんていうラブレターまがいの手紙を渡したり、心配する薫くんの肩に頭をもたせかけながら、

「沈んでいく大きな夕日に向って草笛を吹くような気持」

などとつぶやいたりします。そして、何と薫くんに体をあずけようとすらするのです。おせんちと言えばおせんちなのでしょうが、それでもいつもの由美ちゃんとは確実に違っています。そう、由美ちゃんは、初めて身近に接した「死」の甘美な誘惑にからめとられ、「死」の美しさに魅せられ、そして何より「死」の恐怖に怯えていたのです。

映画版でこの由美ちゃんを演じた本田みちこが絶品でした。ストーブの炎の照り返しを浴びて先に書いた名セリフをつぶやくシーンの、その横顔の神々しさ。あるいは、死の恐怖から逃れるために薫くんに身を任そうとベッドに横たわり、みずから上着を脱いでいくシーンの、その乳房の初々しさ。こんな可愛い女の子を見たのは、本当に生まれて初めてでした。小説に描かれた由美ちゃんに理想の女性像を見ていた私にとって、その由美ちゃんをみごとに体現した本田みちこは、そのまま私にとっての憧れの女性となりました。その後、彼女は『影狩り』『狼の紋章』など数本の映画に出演はしますが、1976年の『激突! 若大将』を最後に芸能界を引退します……。

さて、ここで由美ちゃんに関するトリビアを紹介しましょう。

森和代と本田ゆみこのほかにも、由美ちゃん役を演じたもう一人の女優さんがいることを知っていますか? NHKが夜の8時45分ころから毎日放映していた連続ドラマシリーズの一篇に、「薫くんシリーズ」3作を合わせて再編成したテレビ版『赤頭巾ちゃん気をつけて』があったのです。このテレビ版では、学習院女子高校を卒業したばかりの仁科明子が、由美ちゃんを演じていたのです。このあと仁科明子は、その才能を認められ、倉本聰や木下恵介脚本のドラマに多く出演するようになります。タクシーに乗っても一人では行き先すら言えないくらいのお嬢さんだった彼女が、のちに共演した松方弘樹とのあの電撃的結婚にいたるなんて、この時点で誰が想像できたでしょうか……。

おっと、閑話休題。

滅びの美学、とでも言うのでしょうか。沈んでいく夕日や、はかなく散る花、死んでいく素晴らしい知性などの罠に魅入られてしまった由美ちゃんは、とうとう裸身となって薫くんをベッドに誘おうとします。「据え膳食わぬは……」などとオヤジくさいことは言いっこなし。こののっぴきならない状況にあって、由美ちゃんを抱きしめたいと思う反面、死の影を怖れるような形では絶対にいけないんだと必死に自制する薫くん。その葛藤の中で、ついには手も触れないままに射精してしまう、この永遠の名シーン。

これはやはり罠なのだ。愛の姿をしてぼくたちを誘いこむ罠なのだ。ととえどんなに馬鹿げていると言われようと、つまらない若者のこだわりと言われようと、そんな他人の死から、いや、この夜をひそかに充たす「死」から恩恵をこうむるようなことはどうしてもしたくない……。

   
そして映画は、小説と同じように、深夜、薫くんが由美ちゃんの家の玄関脇に大きなハクモクレンの枝をささげるシーンで終わります。

ふたたび、現在に戻って、2009年3月、早春の深夜。かつて由美ちゃんの感性に涙し、本田みちこに憧れた私は、すっかり中年になり、酔ってふらつく体を壁にあずけて咲き誇り、甘い香りをただよわせるハクモクレンの花をみつめています。人通りも絶えた深夜の住宅街にたたずむ私の脳裏に、ふいに、ほんの一瞬、小説や映画のようにジャンプしてハクモクレンの枝を折っている自分の姿が浮かびました。でも、薫くんが万感の思いを込めて由美ちゃんに贈ったハクモクレンの花を、はたして今の私は誰に贈ったらいいのでしょうか?

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『白鳥の歌なんか聞えない』(庄司薫著、中央公論社、1971年)

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