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翻訳家たちの挑戦◆ポール・ニザン『アデン・アラビア』

21世紀に入ってから、いわゆるモダン・クラシックと呼ばれる欧米小説の新訳・改訳作業が行われることが増えてきました。

1950年代に欧米の作家によって書かれた、同時代を舞台にした作品は、60年代に翻訳、出版され、多くの読者に迎えられました。インターネットなど夢想だにしない、情報の入手が書籍や雑誌など一部の媒体に限られていた時代のことです。作品に描かれた欧米人の風俗や価値観、生活のありようなどは、カルチャーショックとなって当時の日本人に大きな影響を与えたのでしょう。ある作品は社会現象を巻き起こし、ある作品は若者たちのライフスタイルを変え、またある作品はそこに描かれた描写をめぐって論争を生みました。こうした小説の翻訳に携わったのは、その多くがまだ若い気鋭の翻訳家たちでした。ドイツ文学の専門家と言えばT、ロシア文学の訳者と言えばY……といったように、すでに大家として名をなした翻訳家ではなく、たとえ有名ではなくとも進取の機運にあふれた研究者や翻訳家たちが、こぞってこれはという作品の紹介に力を注いだのです。

そして、30余年がすぎた21世紀冒頭。当時の読者のうち長じて小説家や研究者、翻訳のプロになった人たちによる、満を持しての旧版の見直し作業が始まりました。それは、旧版へのオマージュであると同時に、「名訳」と評価が高い旧版への「挑戦」でもあったのです。

たとえば、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)の冒頭の一行。1964年の野崎孝による旧版では、

もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、僕が生まれる前に両親は何をやってたかとか、そういった《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ……

とあるのに対し、2003年に同じ白水社から刊行された村上春樹による新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で、それは、

こうして話を始めるとなると、君はまず最初に、僕がどこで生まれたかとか、どんなみっともない子ども時代を送ったかとか、僕が生まれる前に両親が何をしていたかとか、その手のデイヴィッド・カッパフィールド的なしょうもないあれこれを知りたがるかもしれない。……

となっています。

旧版を訳した野崎孝の最大の功績は、一つに原題『The Catcher in the Rye』を『ライ麦畑でつかまえて』という絶妙の邦題に意訳したことです。日本人に親しまれている俳句の五・七・五、ほぼその後半十二文字に合わせたリズミカルな書名は、同じ調子のダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』と並んで、名邦訳のベストに挙げられると思います。そしてもう一つの功績が、全編を通じての主人公の一人称語りを、徹底した若者言葉による口語体で訳したこと。ただ残念なことに、40年以上も経ってしまうと、日々変化している若者言葉やスラングの多様化に追いつかず、その言い回しや固有名詞にいささかの古さや違和感を感じてしまいます。このあたりが、全時代対応型のカチッとした文語体ではない、口語体ゆえの弱点なのでしょう。村上春樹の新訳版にも、そうした口語体ならではの苦労が随所に見受けられます。要は、旧約・新訳のいずれが良い悪いではなくて、野崎版は野崎版、村上版は村上版として読み比べをするなど、それぞれを楽しむことだと思います。

次に、1953年に原書が刊行されたアーサー・C・クラークのSF小説『幼年期の終わり』。福島正実の訳で1964年に早川書房から『ハヤカワ・SF・シリーズ』の一冊として刊行され、以来、つねに読者アンケートではベスト10の上位常連となっている正統派SFで、私も高校生のころに読んで感動を受けました(ちなみに福島版では『幼年期の終り』)。この作品もあいだに沼沢洽治訳の創元SF文庫版(1969年、書名は『地球幼年期の終わり』)をはさみながら、2007年に池田真紀子による新訳版が『光文社古典新訳文庫』に収められました。なお、クラークは1989年に第1章の冒頭、プロローグにあたる部分を、東西冷戦下の宇宙開発競争の時代を舞台にした初版から、米ソ共同の火星探査計画が行われている時代へと、設定自体を大改稿しているので、訳者の違い以前に、内容そのものが大きく変わっています。

そして、今回の名セリフ、ポール・ニザン『アデン・アラビア(1931年)冒頭の、あの有名な一行。

ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。

新訳版の仕掛け人、池澤夏樹によれば、「二十世紀のフランスの小説の中で最も有名な書き出し」の二つのうちの一つがこの書き出しで(もう一つは、カミユ『異邦人』の「きょう、ママンが死んだ」)、「これが有名になったのは、要するに誰もが二十歳の時にこう思うからだ。青春は美しいという老人たちの紋切り型の賛辞に対する当事者の強い反発」だからだと続けています(『世界文学全集』Ⅰ-10、河出書房新社、2008年)。

篠田浩一郎によって訳され、1966年に『ポール・ニザン著作集』第1巻として刊行された初版のこの一行は、私を圧倒的に打ちのめしました。この言葉を知ったのは、まさしく私が20歳前後のころ。国や市が勝手に祝ってくれる成人式なんてナンセンスと参加をボイコットする一方で、20歳、という年齢には妙なこだわりを持って、「20歳のうちに童貞を捨てるのだ」などと変な誓いを立てたり、そうかと思えば、高野悦子の『二十歳の原点』をはじめとする20歳くらいの男女が登場する本やマンガを手当たり次第、読み漁っていました。今にしてみれば、この時期の思い出は、どれもこれもみじめでつまらないものばかりですが、『アデン・アラビア』冒頭の一行をつぶやくことで、きれいごとばかりを口にする大人たちのうさんくささに憤り、自分なりの異議申し立てをしていたつもりだったのでしょう。

今年になってからも、朝吹登水子の1955年の名訳で知られるフランソワーズ・サガン『悲しみよ こんにちは』が河野万里子による新訳として出版されるなど、新訳・改訳ブームはまだまだ続きそうです。とまれ、およそすべての学問や研究は、日々進化を重ね、今日の新発見・新説も明日には簡単に塗り替えられてしまうことはたびたびです。それでも、旧来の成果をベースに、あるときはそれを否定し、あるときはそれを継承して、学問や研究は発展してきたわけですし、翻訳という営為もまたそうであるのでしょう。

あっ、そうそう。小野正嗣による新訳版の『アデン・アラビア』の冒頭は、次のとおりです。ここまで人口に膾炙された名文となると、さぞかし大変な作業だったのでしょうね。

僕は二十歳(はたち)だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『アデン・アラビア』(ポール・ニザン著・篠田浩一郎訳、『ポール・ニザン著作集』1、晶文社、1966年)

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