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2009年4月

トリオのゆくえ◆キャンディーズ「微笑がえし」

いつの頃からでしょうか、「ユニット」という考え方が芸能界で一般化したのは。個人としては人気も実力もいまいちの歌手やアイドルを戦略的にグループとして売り出す例は、「モーニング娘。」や最近の「羞恥心」の例を挙げるまでもなく、芸能界ではやたら目につく今日この頃です。

古くは60年代の「御三家」(西郷輝彦・橋幸夫・舟木和夫)が私にとってのユニット初体験となるわけですが、やはり画期となったのは、70年代に一世を風靡した天知真理・小柳ルミ子・南沙織の女性アイドル三人組と、それに続く桜田淳子・森昌子・山口百恵の「中三トリオ」だと思います。ただ、こうした女性アイドル・ユニットや、同じ頃の「新御三家」、その後のジャニーズ系ユニット「たのきんトリオ」などの男性アイドル・ユニットが、基本的にソロ歌手を売り出すための期間限定ユニットであったことを考えれば、純然たる「トリオ」としての成功例は、やはりキャンディーズをその嚆矢とすべきではないでしょうか。

伊藤蘭田中好子藤村美樹――1972年4月にNHK番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして芸能界デビューして以来(ちなみにこの時点ではユニット名はありませんでした)、78年4月4日の後楽園球場でのお別れコンサート(ファイナル・カーニバル)までに至る、彼女たち3人がたどったキャンディーズとしての軌跡は、ちょうど私の高校から大学時代とみごとに重なっています。「あの時代」を象徴する女性歌手、私にとってのアイドルを挙げるとすれば、私は間違いなくキャンディーズを挙げることでしょう(メジャー系ではほかに太田裕美。なお、アングラ・マイナー系の裏アイドルたちについては、またの機会に)。キャンディーズの三人の芸能界からの卒業をテーマにしたラスト・シングル「微笑がえし」がヒットチャートを急上昇していた78年の早春、私もその歌詞に涙しながら、不完全燃焼のままに終わった学生時代にピリオドを打ったのでした。

「おかしなものね/忘れたころに見つかるなんて/まるで青春の想い出そのもの」

今でも「微笑がえし」のこの一節を耳にすると、70年代中頃の大学生活が鮮やかに蘇ってきます。当時、地方から上京して東京の大学に通っていた学生の何人かは、下宿代が安いことや管理体制がきちんとしているなど、もっぱら保護者側の理由から、まずは大学の学生寮や、それぞれの出身県が運営する県人寮に下宿していました。まだ数もそれほど多くない洒落た造りの学生専門マンションに住んでいたのは、ごく一部の、お金持ちの両親を持つ真面目なお嬢さんだけったような気がします。ところが一年もすると、門限や掃除当番などの煩雑な規則、相部屋ゆえのプライバシー問題、あるいは上級生とのあつれきなどからは、学生寮や県人寮に入った友人の多くは、そのほとんどが街の下宿屋やアパートに移っていきました。親元から通学していた私は、よく終電車を乗り過ごしては友人の下宿に転がりこんでいたものでした。酒屋の店先から拝借してきたいくつものビールケースを逆さまにして並べ、その上に布団を敷いてベッド代わりにしていた友人。テッィシュペーパー持参で入った廊下の共同便所。大家と共有の玄関から上がりこみ、足音と忍ばせて上った狭い階段。四畳半の部屋の片隅に置き去りにしたままの、ホコリだらけのあの頃の懐かしい想い出たち………。

お別れコンサート直後に出た音楽雑誌に、こんな内容のレポートが載ったことを覚えています。

「……コンサートの中で歌われた『哀愁のシンフォニー』のサビの部分、三人が観客に向けて「こっちを向いて」と歌いかけるのを受けて、観客席からはいっせいに紙テープがステージめがけて投げられた。夜空を背景にしてアリーナ席に座っている自分の上を越えていく七色のテープは、息をのむほど美しかった。そして、ステージにと届くことなく地面に落ちてしまうテープは、けっして彼女たちに届かない自分の思いにも似ていた……」。

思いは届くのだろうか……。好きだった女の子への思い、世の中の変革を求める思い、自分の将来に対する漠とした思い……。思いは届くのだろうか……。

歌はもちろん、コントにもその才能を遺憾なく発揮して明るい笑いを振りまいていたキャンディーズは、今ならば、バラエティー番組の常連となっていたことでしょう。事務所の方針がそうだったのでしょうか、コンサート活動に重点を置いていたキャンディーズには、残念なことに代表作となるテレビドラマや映画はありません。日本版「チャーリーズ・エンジェル」など、彼女たちの主演で映画化でもされていたらきっと面白いものになっていたでしょうに、これは本当に残念なことです。……。もちろんメンバー一人ひとりについて見てみれば、例えば伊藤蘭だけに限っても、解散間もなくの、映画「ヒポクラテスたち」で見せた抜群の存在感や、つい最近のテレビドラマ「風のガーデン」で見せた年相応の演技など、はっとするものが少なくありません。しかし、私が見たかったのは、ユニット=トリオとしてのキャンディーズが演じた作品であり、それがかなわなかったことは残念でたまりません。

私にとって、そしておそらくは、同時代を生きた多くの男の子たちにとって、キャンディーズが単なるアイドル以上の意味を持っているのは、つまるところ、1977年7月17日、日比谷野外音楽堂でのコンサートにおける、あの衝撃的メッセージ、

「普通の女の子に戻りたい」

につきると思います。事務所やテレビ局の言いなりになっているだけの、文字どおりのアイドル=偶像とは一線を画し、みずからの意思を貫き通した彼女たちの潔さ! 結果として、キャンディーズの3人は、解散後、それほどの時間をおかず芸能界への再デビューを果たすことになり、藤村美樹を除く伊藤蘭と田中好子は、現在も女優としての活動を続けています。こうした再デビューは私にとっても予想の範囲内の行動でしたが、「去り際の美学」に共感することで、彼女たちの引退を美化し、伝説化していただけに、これには釈然としないところもあったのも隠しようのない事実です。いずれにせよ、最盛期に電撃的に引退し、しばらくの後にイメージを変えて再デビューをはかる、というパターンはここから始まったのです。

さて、キャンディーズの引退後、その成功の後を追って二匹目、三匹目のドジョウをねらい、いくつもの女性アイドル・トリオがデビューしました。ざっと思い出すだけでも、キャンディーズの正統後継者としてデビューしたトライアングル。泣かず飛ばずのうちに解散し、一人はにっかつロマンポルノに主演したのではなかったでしょうか。同じく鳴り物入りでデビューした少女隊。のちにヘアヌード写真集を出した女の子もいました。寄せ集め、やっつけ企画の見本だったアパッチ。「佐和子があぶない」のキャッチコピーを持つ主演映画「夏の秘密」を残したパンジー。顔も浮かばないスターボー。欽ちゃんファミリーのわらべ。いい子であり続けることを義務づけられながら、それに反逆して生きた一人の末路の哀れさ。変わり種では、麻生真美子&キャプテン。キャプテンの二人は、もともと松本伊代の後ろで踊っていた二人組。スタイル抜群の麻生真美子は、解散後、廃工場を舞台に撮影したボンデージ写真集でみごとな裸身をさらけ出しました。そして、リボン。永遠のベビー・フェイス、永作博美は、今や女優として大成しています。

はかなさがアイドルの条件であるならば、短期間のうちに芸能界を全力疾走で駆け抜け、私たちの心に生涯消えることのない残像を焼き付けたキャンディーズこそ、もっともアイドルらしいアイドルだったのかもしれません。お別れコンサートから31年、その間に、解散、ばら売り、転身、引退……という運命をたどった「キャンディーズになれなかったトリオのゆくえ」に思いを馳せつつ、このあたりで今回はおしまいにさせていただきます。

あっ、ここで問題です。私が、当時、一番好きだったキャンディーズのメンバーは、だれでしょう? ま、どうでもいいけどね。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:「微笑がえし」(阿木燿子作詞・穂口雄右作曲・キャンディーズ歌唱、1978年)

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