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2009年11月

職務質問されたなら◆寺山修司「田園に死す」

何年か前、出張で青森県の三沢市を訪れたことがあります。海岸沿いに立つ巨大な工場を視察した後、夜の宴席までの時間をつぶすため、現地担当者が寺山修司記念館に連れて行ってくれました。記念館に向う自動車の中で担当者は、「変な場所しかご案内できなくて申し訳ない」「派手な建物ばかり作っちゃって」と、ひたすら言い訳ばかりを続け、記念館に着いてからも、「寺山修司なんてご存じないですよね」とか「つまらなかったらすぐに帰りますから」と、こればっかり。たしかにお偉方の同行者にとってはそうだったのかもしれませんが、私にとっては寺山修司の記念館を訪問できるなど、まさしく千載一遇のチャンス。この機会を逃しては二度と訪れることもないだろうと、わくわくしていたことを覚えています。

残念ながら私は、万能の天才、寺山修司の業績のうち演劇はとうとう観ることはできませんでした。いわゆるアングラ劇、小劇場演劇に目覚めた頃には、すでに寺山が主宰する天井桟敷は解散しており、ただその作品のみが伝説となって語り継がれていました。短歌とか詩とか、少女向きのお話しから寺山の存在を知り、次に映画など映像作品に進んだ私は、ついに演劇作家としての寺山を体験することはかなわなかったのでした。

誰だったかは忘れてしまいましたが、早稲田大学に入学したものの、想像していた大学生生活とのギャップに思い悩んでいたとき、偶然に座った大教室の机に彫られていた寺山修司の短歌、

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

に救われた、というような文章を読んだことがあります。

同じように、私にとって寺山修司の映画は、それまで観ていた映画の概念を根底からくつがえしてくれるものになりました。映画の面白さを、起伏に富んだストーリーと緻密な脚本、そしてそれを忠実に演じる役者に求めていた私にとって、「実験映画」とも称された寺山の映画は驚きの連続でした。

初めて寺山修司脚本・監督の「田園に死す」を観たときの衝撃。過去と現在が交じり合った記憶の羅列のような物語。悪夢さながらに登場するサーカスのフリークスたち。母親との近親相姦願望、恐山・イタコ、覗き見、そして、故郷への訣別と放浪への憧れ……。きわめつけは、あのラストシーン!!

「生年月日、昭和四十九年十二月十日。本籍地、東京都新宿区新宿字恐山!!」

故郷の陋屋でちゃぶ台をはさみ母親と食事をするシーンに、このセリフがかぶるやいなや、突然奥の壁が向こう側に倒れると、そこは何と新宿駅東口広場の雑踏! 映画ならでは映像マジックここにきわまれリ、前代未聞の演出に私は本当に驚かされました。

幸か不幸か、私はまだ官憲から職務質問をされた経験はありませんが、そんなとき寺山修司のこのセリフを口にしたら、彼はどんな反応を示すことでしょうか。公務執行への妨害といきりたつか、ヨッパライのたわごとと眉をしかめるか、「おっ、それ寺山だね」と理解を示してくれるか……まあ、三番目の可能性は限りなくゼロに近いでしょうけどね……。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:「田園に死す」(寺山修司監督・脚本、1974年公開)

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