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2010年1月

旅人のブルース◆永六輔『懐かしい恋人たち』

市民運動華やかなりし1970年代末期の77年、既成の政党に飽き足らず、市民による市民のための政治を取り戻そうという理想のもと、一つの政治団体が結成されました。その名は、革新自由連合。80年の参議院総選挙には代表の中山千夏が立候補し、みごと当選しています(選挙戦突入前夜の総決起集会には私も参加し、そこでシュプレヒコールを挙げている姿が、その夜のテレビニュースで放映されたのを見たときは驚きました)。この革自連、もともとは雑誌『話の特集』編集長だった矢崎泰久、同誌の常連執筆者だった永六輔を中心に、女優で歌手の中山(矢崎と二人でユニット「狭間組」を名乗る)、指揮者の岩城宏之、歌手の小室等・長谷川きよし、イラストレーターの妹尾河童、ジャーナリストのばばこういちら、錚々たるメンバーが月に一度集まって上野・本牧亭で催していたイベント「政治寄席」がその母体となっています。私は、毎月というわけにはいきませんでしたが、結構足繁く通っては、月替わりで登場するメンバーの話やパフォーマンスを楽しんでいました。その中でも私の一番のお目当てが、永六輔でした。

その昔、ある会社の入社面接で尊敬する人物は誰かと問われた際、私が迷うことなく挙げたのが永六輔と小松左京の二人でした。私は大学で歴史を専門としていましたが、永からは市井に生きる庶民・市民レベルの極小(ミクロ)の視点で歴史や文化を見る方法を学び、小松からは人類とか地球とかの宇宙レベルの極大(マクロ)の視点で歴史や文明を考える方法を学んでいたと自負していました。

さて、私と永六輔との出会いは、NTV系列で放映されていたテレビ番組「遠くへ行きたい」にさかのぼります。「遠くへ行きたい」自体は、今も続いている長寿番組ですが、当時は日曜日の夜遅くに放映されていたマイナーな番組でした。夜更かしが固く禁じられ、10時過ぎには就寝という家庭でしたので、私は自室でこっそり、中古の白黒テレビでこの番組を見ていました。

最初のうちは永六輔だけだった旅人も、俳優の伊丹十三・渡辺文雄、作家の五木寛之といった個性的な面々が加わってきました。やれ温泉だ、やれグルメだ、という昨今のちょうちん持ち的なおべんちゃら番組とは一線を画す番組構成は、その回の旅人ならではのテーマのもと、主体性を持った旅をするのを、カメラは黙って追いかけるというような作りだったと記憶しています。忘れられないのは、五木がみずからの作品『青春の門』の舞台、筑豊炭田を訪ね、主人公よろしくオートバイでボタ山を駆け上がる回です。訥々とした五木の語り口と、アクティヴな演出がみごとでした(制作・演出はテレビマンユニオン!)。また、永が旅人となる回の最後で必ずすれ違う謎の美女のミステリアスな魅力も忘れられません。

ときあたかも、〈ディスカバー・ジャパン〉キャンペーンによる、名所巡りだけの物見遊山的な団体旅行ではない、もっと個性的な少人数の旅がブームになりつつあった頃でした。ここではないどこかに、何かもっと魅力的なできごとと素敵な人が待っているのだ――見知らぬ土地での見知らぬ人との出会いを予感させる一人旅は、私を酔わせるのに十分でした。永六輔作詞・中村八大作曲の番組主題歌「遠くへ行きたい」に歌われた「愛する人とめぐり逢」うことに胸躍らせながら、私は深夜急行に飛び乗ることになるのです。

永六輔が私に与えた影響は、一人旅への誘いだけではありませんでした。戦後の混乱期に青春時代を過ごした多くの若者がそうであるように、永もまた熱狂的な映画少年・映画青年でした。TBS系ラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」、あるいは自著を通して、永は映画の魅力についても熱く語ってくれました。評論家の講釈じみた解説ではなく、永が語る映画の魅力は、みずからの体験に即したきわめて私的なものだったように思えます。それは、その映画が作られた時代の世相や社会状況、同時代を生きた自分との関わりなど、大げさに言えば、時代と切り結ぶ映画そのものの位置づけを試みていると言ってもいいのではないでしょうか。

そう、例えば、1952年のアメリカ映画「真昼の決闘」に関しては、こんなふうに……。

それがいい役でもなんでも保安官て嫌いです。警官や機動隊を恐がるのは後めたいことをしているからだというバカなことをいう役人がいる国に住んでいるからです。「俺が法律だ」というような表情しか出来ない貧しさを嫌うわけではありません。そういう顔をして正義の味方ぶるところがいやなのです。デモに参加する勇気の中にはこうした胸のバッチ同様、その武装にものをいわせる役人根性を無視する姿勢があります。法律を信ずるのではなく、人間を信じることが人間の生き方ではないでしょうか。権力を振りまわし、権力で押さえにかかる役人を嫌うのは人間として当然です。警官や機動隊をみて恐いと思うのは人間らしく生きているからです。彼等の暴力を知っているからです。

かつて永六輔は、ことあるごとに父忠順と自分との関係を、二人の生年から、「昭和天皇と皇太子(の生年)と同じ」と語っていました。そこには戦時中の疎開暮らしというトラウマを持つ永の、奇しくも同じ年齢の親子として戦中・戦後を生き抜いた二組の親子に対する複雑な心境が反映されていることは明白でしょう。すでに忠順も昭和天皇もこの世の人ではなくなりましたが、そおれでもなお、永が生涯を通じて意識し続けるであろうこの国の天皇制というシステムは何ら変わっていません。1959年のフランス映画「墓に唾をかけろ」に寄せた以下の文章が、永の思いの全てを雄弁に語っています。

人間が神様になる必要はないのです。神様を人間にするべきなのです。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『懐かしい恋人たい』(永六輔著、大和書房、1973年)

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