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2011年8月

彼らの無能を嗤う◆田中光二『怒りの聖樹』

東日本大震災からやがて半年。日々移ろう世の中にあって、マスコミがこの話題を取り上げる頻度も少なくなり、気がつけばテレビからは相変わらずの「お気楽番組」が今日も垂れ流されています。問題なのは、お気楽番組に徹していればそれはそれで良いのに、視聴者におもねっているのか、スポンサーからの要請なのか、押しつけがましい「がんばろう、日本」「がんばろう、東北」のかけ声だけは右にならえ、のまま。高校野球のスローガンにまで使われているのはちょっとどうかと思いましたし、インタビューで平然と「自分たちのプレーが被災者へ元気を与えられれば云々」と、しゃべっている球児たちは、本当に意味がわかってマイクに向かっているのでしょうか。

直接の被害を受けなかった私が、自分勝手な意見や思いを軽々しく書き連ねるのもどうかと思い、この件に関してはいっさい口をつぐんできました。被災した方々にお見舞いの言葉を口にしても、東京電力をはじめとする原子力発電所関係者への糾弾を叫んでも、一向に進まない復旧・復興政策を政治家の無能のせいにしても、所詮は外野席からの無責任な放言になるだけだからと思っていたからです。

だけど、半年という時間をまったく無為な時間としてしまい、おそらくはこれからの時間もそうなってしまうだろうことを考えると、その責任を負うべきこの国の政治・行政をになう人たちには、この言葉だけは伝え、肝に銘じてもらいたいと強く思う次第です。

「ぼくは、今ほど想像力が必要な時はないと思っている――直観に裏打ちされた想像力が、だ」

30年以上前に田中『怒りの聖樹』で語ったこの言葉ほど、今の日本の政治家にとって必要なものはないのではとあらためて思います。目先の権力争いや足の引っ張り合いといった視野狭窄状態では、この難局を乗り越えることは不可能です。そうした彼らを嗤う権利は、少なくとも私たち有権者は持っていると思います。

当座の対応も確かに必要でしょうが、何よりも長期的なビジョンとユニークな想像力があってこそ、被災地の人々と日本全体にとってもっとも望ましい、歴史的にも評価されるような「復旧・復興」が可能となってくるのではないでしょうか。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『怒りの聖樹』(田中光二著、『ノン・ノベル』、祥伝社、1977年)

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