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2011年10月

これが〈始まりの終わり〉なのか◆小松左京『夏の終り』

今年7月26日に小松左京が80歳で亡くなってから、間もなく三ヶ月になります。そろそろ故人と縁のある出版社などで追悼企画や特集号が出版されてもいい頃だと思いますが、企画の噂は耳にするものの、まだ店頭に並ぶものはありません(河出書房新社から傑作選3冊と『文芸別冊』で特集号が出るらしいです)。亡くなった直後の新聞に掲載された記事や関係者からの追悼文をのぞけば、昨晩10月15日付けの『朝日新聞』夕刊「追悼」にコラムが載ったくらいでしょうか。何よりも腹立たしいのは、かつてはあれほどの蜜月時代を共に過ごした『SFマガジン』が、後の対立・決裂のしこりからか、いっさい口をつぐんでいることです。さすがに完全な無視黙殺というわけにもいかないらしく、同誌今月号では小松左京を含む「日本SF第一世代」を総括するという苦肉の企画でお茶を濁していますが、これってあまりに失礼なんじゃないかと思ってしまいます。

小松左京の実質上のデビュー作『地には平和を』が、『SFマガジン』主催のSF新人賞で選外努力賞を受賞したのは1961年。その翌年に同誌に掲載された作品、つまり商業誌デビュー作『易仙逃里記』以来、多くの短編・中編・長期連載作などを精力的に発表してきたにもかかわらず、1981年の、いわゆる〈太陽風交点事件〉を最後に、両者の関係は終りを告げてしまうのです。このあたりの経緯については、評論家の大森望をはじめ何人かが雑誌などに書いていますので省略しますが、いずれ時間がたって小松左京研究が進み、第三者によるしっかりとした評伝・研究が発表され、詳細が明らかにされるときを待ちたいと思います。

ところで、小松左京といえば誰もが認める日本SF最大の功労者で、最大の創作者です。その膨大な作品群は時に時空間を超越した気宇壮大な物語であり、また時に人類の可能性と未来を描いた物語であり、まさに「コンピュータ付きのブルドーザー」の異名に相応しいSF作家と認識されていることでしょう。

確かにそれは間違いのない事実なのでしょうが、実は小松左京はそうしたハードSFとは一線を画す、リリカルでロマンチックな、その青臭さに思わず照れてしまうような小品も多く発表しているのです。ここで紹介するのは、一連のショート・ショートの中でも、私が大好きな一編『夏の終り』(初出は1965年9月6日付けの『サンケイスポーツ』)です。

……夏も終りに近い、高原の避暑地。少年と少女が、霧の立ち込める杉林の中をさまよっています。テント村にもバンガローにも人影はなく、池の周囲の売店や射的場は閉じられています。夏の名残を残し、人々は街へ帰っていったのです。「誰もいない」「みんなかえって行ったよ」少年はつぶやき、少女は「いるのは、私たちだけ」と応えます。ふと気がつくと、林の奥の空き地に一軒だけ残っているお化け屋敷。入り口に立つ男の勧めるままに、中に入る二人。何かがうごめく闇の中を進み、いつしかくぐりぬけた出口には、男が待っていました。「こわかったですか?」と訊ねる男に、少女は「いいえ――暗いだけで、何も出なかったわ」。残念そうに男は「もう、店じまいですからね。来年の夏、また出ます」とつぶやきます。お化け屋敷を後にした二人がふっと振り向くと、お化け屋敷とそれが建っていた空き地そのものが跡形もなく消えうせていました。「ほんとうのお化け屋敷だったのね」そうつぶやく少女を、少年は「おいで……もっとむこうへ行ってみよう」とうながします。そして、この奇跡のように美しい掌編の最後は、こう結ばれています。

いよいよ深くたちこめる霧と、木の下闇の中に、二人の姿は消えていった。――この夏の、とある夜半、この池のまん中で、ボートが顚覆し、冷たい湧き水に心臓をつかまれて、抱きあったまま命をおとした、若い二人の魂は。

小松左京の死は、とりもなおさず日本SF全体の青春期、そして朱夏期の終りにほかなりません。芽生えの春、輝きの夏の後に来る季節は、豊穣の実りをもたらす秋なのでしょうが、それは同時に、次に巡って来る、暗く厳しい冬の季節を予感させるものでもあるのです。日本SFにとって確実に一つの季節が終わり、新しい季節が始まろうとしていることを感じます。

そう、『夏の終り』の冒頭が、こう語るように……。

夏の終りは、祭りの終りだ。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『夏の終り』(小松左京著、『ある生き物の記録』〈ハヤカワ・SF・シリーズ〉所収、早川書房、1966年)

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