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2015年3月

みっともないけど、青春◆神代辰巳「青春の蹉跌」

神代辰巳監督没後20年を記念した上映特集で、久しぶりに「青春の蹉跌」を観ました。

私は、18歳の頃からずっと映画の鑑賞ノートをつけていますが、その記録には、この映画を初めて観たのは1974年6月26日、東宝試写室にて、と記してあります。当時、私は大学1年生。映画をマスコミの評判や話題性ではなく、監督や役者さんにこだわった観るようになったちょうどその頃です。いっしょに観たのは、毎日のようにつるんで名画座を回っていた友人S。

原作者の石川達三が、「ポルノ映画の監督に撮らせるなんて!」と激怒したといううわさ、そして、「ポルノ映画監督」神代辰巳以下、脚本の長谷川和彦、音楽の井上堯之といった製作陣、萩原健一(以下、ショーケン)や桃井ら役者の顔ぶれ、日活ではなく東宝で作られたことが、この映画の1974年当時の日本映画、いやサブカルチャー全体における位置づけをよく表わしていると思います。

私にとってショーケンは、ザ・テンプターズのボーカルではなく、やはりテレビ「太陽にほえろ」のマカロニ刑事のインパクトが強い存在でした。前年の夏、立ち小便をしながら暴漢に刺殺されるかたちで殉職(正式には職務中ではないので殉職には相当しないそうですが)した、その格好悪い幕切れは、それまでの「不死身」に近いヒーローが活躍する刑事ドラマの常識をくつがえしました。

それは、みっともなく、格好悪い、ぶざまな「青春」こそが、私たちが生きているこの現実社会ではリアルな「青春」の姿なのだということを、あらためて教えてくれたと思っています。

この映画においても、ショーケンは本当にどうしようもないくらいみっともない青春をおくっています。ゲバ棒を振るっていた過去を封印し、裕福な親戚から金銭的援助を受け、司法試験に合格し、孕ませた女を捨てて別の女と婚約し、「陽の当たる場所」を目指す姿は、おそらく当時の私にとっては、もっとも唾棄すべき男だったはずです。でも、なぜかそうは思わず、そんなショーケンに思い入れしてしまう自分自身がいました。

なぜなのでしょう? 闘争の残滓をただよわせる森本レオ扮する活動家の先輩とのやりとり、恫喝し思い通りにさせようとする援助者への屈折した感情、成り行きで孕ませた桃井かおりを殺してしまう短絡さ……そうした内にこもった感情を見事に演じきったショーケンと、神代監督の自在な演出力のせいなのでしょうか?

「みっともない青春」を体現し、私に圧倒的なインパクトを与えてくれたショーケンは、翌年のテレビ「傷だらけのい天使」最終回、頓死した水谷豊をリアカーに乗せて夢の島のゴミの中をさまよう姿で再び現れることになるのです。

映画のラスト。逮捕状を持って試合会場を訪れた刑事(「太陽にほえろ」で共演した長さんこと下川辰平という楽屋落ち!)は、ハーフタイムを終えて試合に戻ろうとするショーケンを止めようとする同僚に、こう言います。

「ほうっておけ、どこへも逃げられやしないよ」

でも……。初めて試写会で観た帰り道、友人Sが言った言葉、「逃げられる所は一つだけあったんだよな」は、今でも忘れられません。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:「青春の蹉跌」(神代辰巳監督・長谷川和彦脚本、1974年公開)

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