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等身大の青春◆田渕由美子『フランス窓便り』

私が大学生だった1970年代の中後期、このブログで取り上げているような当時のサブカルチャーに、大きな変化が訪れました。マンガや映画や歌謡曲などに登場する主人公が、それまでの中高生や成人男女から大学生に変わり始めたのです。これは明らかにターゲットを大学生を中心とする世代に絞り始めた結果であり、逆から言えば、大学生という限られた人種が、マーケットに与える影響を大きく持ち始めたからでしょう。

例えばテレビドラマでは、それまで高校生活を舞台にしていた青春ドラマが、大学生を主人公に据えたドラマになり(『俺たちの旅』中村雅俊・田中健・秋野太作主演、1975年10月~1976年10月放映)、その後しばらくこの路線が続きます。映画では、岡田奈々(AKB48にはあらず)・秋野暢子早乙女愛の女子大生3人が繰り広げるドラマ『青春の構図』1976年公開)など。大学生3人組が殺人事件に挑む栗本薫の推理小説ぼくらの時代が江戸川乱歩賞を受賞したのは1978年のことでした。特にこの傾向が顕著だったのは、音楽界です。いわゆる〈四畳半フォーク〉は、具体的に歌詞にはないものを含め、そのほとんどが大学生と思われる男女の仲を歌っていました。ガロ学生街の喫茶店」(1972年)や、あべ静江のデビュー曲コーヒーショップで1973年)に登場するのはどう考えても大学生でしょうし、太田裕美恋人たちの100の偽り松本隆作詞、1977年)にいたっては、「卒論がすむまでは逢えないという……」のフレーズがあります。

そして、マンガです。マンガでは、もう一歩、進んでいました。まだ少年向け週刊マンガ雑誌の多くが、高校生のスポーツものや番長との対決ものを連載し、友情・努力・勝利を全面に打ち出していたこの時代にあって、女子大生を主人公にした、どこにでありそうな、誰にでも訪れそうな、等身大の恋愛マンガを掲載していたのです。

月刊少女向けマンガ雑誌『りぼん』の1976年6月号から8月号まで、3回連続で掲載された田渕由美子『フランス窓便り』当時、ブームとなりつつあった〈乙女チックラブコメディー〉の一つとジャンル分けされるのでしょうが、白いペンキ塗りのフランス窓のある小さな一軒家に下宿している3人の女子大生、川島杏・欧見苗子・柘植詮子の、現実の大学生活と何ら変わりないようなキャンパス・ライフを描いています。もっとも、3人が地方の高校で同級生だったことは明らかにされていますが、なぜこんな豪華な下宿生活が送れるのかなどは描かれていませんが……。

末っ子的な位置づけの、引っ込み思案で一見したところ高校生にしか見えない杏。行動的な個性派タイプでタバコぷかぷかの美大生、苗子。ストレートヘアで落ち着いたお姉さんタイプの詮子。3人が体験するキャンパスでの恋愛は、どれもがハッピーエンドに終わるのですが、私は苗子と重太郎のエピソードが一番好きでした。

片思いの帆苅くんではなく、その親友の重太郎にプロポーズされて困惑する苗子。苗子の迷惑など無視してアッタクを繰り返す重太郎は、苗子からタバコを取り上げると、「前から言いたかったんだけど/オレ大キライなの/タバコすうオンナ」と一言、。カーッとした苗子は、「タバコをすうオンナがきらいなら/タバコすわないオンナにプロポーズすりゃいいじゃない」と啖呵を切ります。その後、重太郎の本当の優しさを知った苗子は、朝のキャンパスで出会った重太郎に「おはよ」と声をかけ、別の教室に向かう重太郎に向かって、

「あんね――/あたしタバコ/やめることにしたんだわ」

と、宣言すると、パタパタと走り去っていきます。この可愛らしい愛の告白! 

私のまわりにも、杏のような少女も、苗子のようにタバコを吸う個性派も、年上と見間違うばかりの詮子のような大人びた女子大生も確かにいました。このマンガに描かれたキャンパス・ライフには、基本的にウソはありません。でも……。当時、早稲田大学に通いながらマンガを描いていた作者もおそらくはそうであったように、この愛すべき物語は、あり得たはずの、しかし同時に、一度もあったことのない、夢のようなキャンパス・ライフだったのではないでしょうか。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

■セリフの履歴

出典:『フランス窓便り』(田渕由美子作画、『フランス窓便り』〈『SGコミックス』〉所収、集英社、1990年)

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祈りは届いたのか◆石森章太郎『サイボーグ009』

石森章太郎の代表作『サイボーグ009』。今さら説明するまでもなく、1964年の連載開始から死の直前まで、多くの雑誌に発表場所を移しながら描き続けられた、誰もが認める石森章太郎のライフワークと言える長編マンガです。

調べてみると、最初の掲載誌は『週刊少年キング』1964年7月19日第30号。当時、小学校4年生だった私は『週刊少年サンデー』派だったので、おそらく友だちから借りて飛び飛びで読んでいたのでしょう。それでもその面白さは群を抜いていて、たちまち009ファンになってしまいました。

それまでの少年マンガのヒーローは、古くは月光仮面、伊賀の影丸はもちろん、鉄腕アトム、鉄人28号もそのほとんどが個人ヒーローでした。それが『サイボーグ009』は、いちおうは009こと島村ジョーが主役級の扱いは受けているものの、いざ戦う際は001から009までの9人の力を合わせての集団戦が原則になっていました。石森自身は後年、9人で1チームの野球チームからヒントを得たと語っていますが、この団体ヒーローという設定は、おそらく日本のマンガで初めてだったのではないでしょうか。加えて、9人それぞれのバラエティ豊かな設定の妙。国籍、性別、年齢を異にする9人が、それぞれの過去を背負いながら、特化された能力を駆使して敵と戦う(それも常に人体改造された運命を呪い、悩みながら)。確かに同時期に手塚治虫の『白いパイロット』がありますが、こちらはヒーローは複数でも個人技で戦うことはなく、皆でスーパーロケットに乗って戦うという全く違う設定です。

みずからの肉体を改造した死の商人「黒い幽霊団(ブラック・ゴースト)」と戦い続けるサイボーグ戦士たち。サイボーグ研究所からの脱出とブラック・ゴーストとの決別を描いた「誕生編」に始まる彼らの戦いは、ブラック・ゴーストからの刺客との戦い(「暗殺者編」)、舞台をベトナムやギリシャに移した「ベトナム編」「ミュートス・サイボーグ編」を経て、最終決戦「地下帝国ヨミ編」に受け継がれていきます。

『週刊少年マガジン』1966年7月10日第27号から若干の中断をはさんで、翌67年3月26日第13号まで連載された「地下帝国ヨミ編」は、石森章太郎が文字どおり全身全霊を傾けて描き切った名作中の名作であることは間違いないでしょう。終了後も、読者や版元の要求で長く『サイボーグ009』は続いていくのですが、その後の作品がインサイド・ストーリーにすぎず、誤解を承知で言うならば、石森のご隠居芸にすぎなかったと思うのは私だけではないでしょう(ともに中断したままの「天使編」と「神々との闘い編」は別格)。特に死後、近親者の手で発表された「完結編」の酷さは目を覆うばかり。天才でもその才能は枯渇していくという悲しい現実をつきつけられました。

地上から地下へと延々と続く、サイボーグ戦士たちとブラック・ゴースト、そして地底国住民との三つ巴の戦い。とにかく面白いのです。大人になった今、あらためて読み返してみますと、構成の破綻など瑕疵は見られるものの、スピード感あふれるストーリー展開、ロングとアップ、コマ落としなどの映画的手法を駆使した画面作り、大胆なコマ割りなどに石森章太郎の才能が開花しています。何より悪役も含めて登場人物一人ひとりの描き分け、性格付けがみごとになされ、単なる戦いものの枠を越えているのには驚かされます。全編を貫く009とヘレン、004とビーナの恋。ニヒリスト004が初めて見せる人間らしい感情。成層圏に向かう002の格好良さととともに、主役を食う名演技でしょう。全身ウロコ状に再改造された008の苦悩、寡黙な005、最後に大活躍を見せる001、コメディ・リリーフとしていい味を見せる006と007。そして、胸に秘めた009への思いを口にする003。群像劇としても完成度は高いものになっています。

決着をつける最終章「地上(ここ)より永遠(とわ)に…」。ここに集約された石森章太郎の理想と願いは、発表から50年近くたった今でも、いや今だからこそ、それを読む私たちに感動を与えてくれます。

「「黒い幽霊団」ヲ殺スニハ、地球上ノ人間ゼンブヲ殺サネバナラナイ!
ナゼナラ「黒い幽霊団」ハ人間タチノ心カラ生マレタモノダカラダ
人間ノ悪ガミニクイ欲望ガ作リアゲタ怪物ダカラダ!」

ブラック・ゴーストの正体、三つの脳がうそぶくように、50年経った今でもブラック・ゴーストの細胞は生き残り、世界中で憎悪のタネを蒔き続けています。それは世界征服のためという単純な目的のためではなく、民族的対立、宗教的対立というより根源的な、より根深い複雑な様相を呈しています。

マンガ史上最も美しいラストシーンと謳われた「地下帝国ヨミ編」の名セリフが私たちに残した祈りは、はたして世界中の人々の心に届いたのでしょうか。

「あたし?
あたしはね
世界に戦争がなくなりますように……
世界中の人がなかよく平和にくらせますようにって……いのったわ」

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

■セリフの履歴

出典:『サイボーグ009』7(石森章太郎作画、『SHOTARO WORLD』045、メディアファクトリー、1999年)

注:後年、石森章太郎は「石ノ森」と改姓しますが、今回の表記は作品発表時の名前をそのまま使用しています。

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また再びの道を行く◆山上たつひこ『光る風』

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いまさら、『光る風』もないでしょうと、笑っているあなた。そうですね、『週刊少年マガジン』掲載から45年、山上たつひこ『光る風』に対しては、もうさまざまな人がさまざまな場所でさまざまな感想や意見を発表していて、確かに言い尽くされた感じがありますね。それを百も承知で、取り上げたのにはワケがあります。

一つは、フリースタイルより完全版が、それも1900円という安価で出版されたこと。実は完全版は2、3年前に小学館クリエイティブから出版されていたのですが、なぜか同じ装幀でフリースタイルから再出版されたのです。事情はよく知りませんが、今、この時代に、より手にしやすい条件で世に流通することは歓迎すべきことでしょう。

もう一つは、前に書いたように、「今、この時代に」ということ。45年の時を経て、私たちを取り巻く環境や情勢は、驚くほど『光る風』で描かれた世界に近づいているようです。

ところで、このたび久しぶりに読み返してみて気がついたのですが(私は朝日ソノラマ版の単行本2冊を持っています)、結構ベタな内容なんですね。悪人・仇役は徹底的に悪人顔にデフォルメされているし、登場人物の名前は、すぐに誰をもじったのかがわかる、とってもわかりやすいネーミング。大杉や高村といった主人公の六高寺弦に影響を与える教師や彫刻家、戦場に送られる思想犯たちがの名前が松本新張(まつもとしんちょう)・尾田実(おだまこと)などといった具合。憲兵大尉は天勝(あまかつ)とくれば、ちょっと安易かなあと……。

初めて読んだ時にはものすごくショックを受けた、主人公の兄、光高の負傷後の姿。これが江戸川乱歩『芋虫』からヒントを得ていることを知ったのは、いつだったでしょうか。汚物のつまったパイプを抜けていく脱出シーンも、その後、どこかで読んだり見たりしたような……。

当局からの指示で中途完結を余儀なくされたと聞いている唐突な終わり方も、大風呂敷を広げ過ぎた挙句の「渡りに船」と邪推してしまったり(ごめんなさい)。多くの個性的な登場人物を有機的にさばいて、整合性を持ったストーリに仕上げていくには、まだ作者は若すぎて力量不足だったのではと思います。

読みなおしてみて、一番心に残ったシーンは、出征する光高に迫る弦の駅頭シーン。歓呼の声に送られ、「祝出征」の襷姿でそれに応える光高に、

「いっちゃだめだ! にいさん!」「にいさんたのむ!! 生きて…生きてかえってくれっ」「死ぬなよ――!!」

と胸ぐらをつかんで絶叫する弦。

弦の祈りどおり、光高は死ぬことなく生きて帰ってくるのです。ただし、無残な姿となって……。

私たちは、近い将来、このマンガのシーンのように、いや、かつて70年前にこの国で日常的に行われていたように、戦地に向かう人々を万歳の声で見送ることになるのでしょうか。その時、愛する人に対し、生きて帰ってきてほしいと声に出して叫ぶことができるでしょうか。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『光る風』(山上たつひこ作画、フリースタイル、2015年)

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時計台解放区にて(その2)◆みやはら啓一『ぼくたちの伝説』

インターネットって、本当に便利ですよね。今回ご紹介するみやはら啓一のマンガ『ぼくたちの伝説』ですが、『週刊少年サンデー』に発表された際にリアルタイムで読んでいたのですが、その後、単行本に収載されたこともないようだし、インターネットで検索しても欲しい情報にはヒットすることはなく、もう一度、読むことは難しいとあきらめていました。

ところがある日のことです。発送の転換というか、ある考えが浮かびました。まさしく、天啓です。――そうだ、作品名だけで検索していたから限界があったのだ、掲載していた雑誌名で調べればいいのだ、と。

1970年の『週刊少年サンデー』に2号にわたって掲載されていてことは確実なので、神保町のマンガ専門古本屋で探したり、インターネットに登録している全国の古本屋で検索しました。その結果、二回目が掲載されていた11月8日号(46号)を、仙台の古本屋から購入することができたのです。残念ながら、初回掲載号、つまり45号はどこを探しても手に入れることはできませんでした。ただ、国立国会図書館に架蔵されていることが判明し、なおかつコピーサービスが受けられるとわかり、こちらは該当箇所のコピーという形で入手しました。

――という前置きのあと、ここからが本題です。

扉絵に「500万高校生にこの一編を捧げる」との、『高校さすらい派』と同じ献辞を掲げたこのマンガ『ぼくたちの伝説』は、「高校生シリーズ第2弾」として前後編2回に分けて連載されました。原作は、佐々木守。作画は、みやはら啓一。担当編集者は、『高校さすらい派』と同じ武居記者。前作が一定以上の評価、人気を得たからでしょうか、当時の看板マンガ『男どアホウ甲子園』の原作者の佐々木守に頼み込んだり、作画に新人のみやはら啓一を持ってきたりと、チャレンジ精神が感じられます。

佐々木守については、ここであらためて説明する必要はないでしょう。多くの映画、テレビのシナリオをはじめ、マンガ原作も少なからず手がけています。私にとっては、大島渚監督の盟友としてもお気に入りの作家の一人です。

一方、作画を担当したみやはら啓一。貸本マンガ出身だと思うのですが、私にとってはこの作品がみやはら初体験でした(のちに自費出版で刊行された『おおわれら三人+ワン』1972年)を古本屋で購入しています)。ちなみに、やはり好評だったのでしょうか、同じコンビで同じサンデー誌上に、男女高校生が一夜をともに過ごす小品を描いています(作品名、忘れてしまいました。どなたかご存知の方、いらしゃいませんか?)。

東大合格率日本一を誇る千早高校。東大入学を目指す3年生の麻生と岩渕。野球部のエース、九条。大学生活動家とも関係を持ち、学内オルグを画策する3年生の大倉。知恵遅れだが心優しい理事長の息子、大内。彼らが心惹かれる活発で物おじしない美少女、1年生の吉本若葉。

進学率維持のため管理体制強化をはかる学校側と、自由な学園生活に憧れる学生たち。悲劇が起こることはあらかじめ予想されています。野球部暴力事件をきっかけに校則を改正し、生徒たちを縛ろうとする学校側。その方針を受け入れ東大を目指すことこそ正しいとする岩渕。若葉への想いを封じ込めそれに従う麻生。闘争の先鋭化のための学外集会を目論む大倉。バリケード封鎖された学校で孤立していく若葉と、欲望の赴くまま彼女を襲う九条。

裏切りと挫折、純愛と性欲、理想と現実、不完全な闘争と厳しい敗北。バリケードは解除され、巻かれたアジビラは回収されてしまいます。みずからの手でアジビラを焼却することで、反省と従順を示すように求める学校側。屠殺場に向かう家畜の群れにも似て、高い煙突を持つ焼却炉に並ぶ生徒たちに冷たい雨が降りしきります。「つぎ!」。「つぎ!」。「つぎ!」。「つぎ!」……彼らが投げ入れる焼却炉の中で膝を抱えてうずくまる放心状態の若葉!!

泣くことを知らないきみ――
笑うことを忘れたきみ――
怒ることをやめたきみ――
憎しみを捨てたきみ――
それはぼくだ

恋することを知らないきみ――
愛することを忘れたきみ――
涙が出なくなったきみ――
それはわたしだ

乾いたアスファルトの街――
沈黙の風が吹きぬける街――
そんな街のぼくときみの間にひとつの伝説が生まれる
風のように
水のように
光のように
それは――青春の伝説である

そしてそれは疑いもなく
ぼくたち自身の伝説である

ガリ勉受験生も、部活イノチの運動部員も、政治活動にはしる運動家も、女の子に憧れる者も、誰もが私たちのまわりにいましたし、私自身のもう一つの姿でもありました。それが「伝説」となって語り継がれていくのならば、この世の中にこれ以上に哀しい伝説はありません。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『ぼくたちの伝説』(佐々木守原作・みやはら啓一画、『週刊少年サンデー』1970年45号~46号、小学館、1970年)

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時計台解放区にて(その1)◆芳谷圭児『高校さすらい派』

買ったままにしておいた小林哲夫『高校紛争1969-1970』(中公新書、2012年)をようやく読み終えました。

著者によれば、日本における高校紛争は、1969年から1970年3月の卒業式までをピークに、ほぼ全国的に起こったもので、紛争に関わった世代は、1951~52年生まれになるそうです。大学生による学生運動に比べ短い期間で終息を迎えるこの紛争を、著者は「のちになって「はしか」のようなものと揶揄されても仕方がないほど、高校紛争は短期間に起こった出来事であった。歴史に埋もれ、人々の記憶から薄らぎ、時とともに消えてしまうのも無理はないかもしれない」と評しています。実際、その世代にほんのわずかの差で遅れて生まれた私は、3年間の高校生活で「紛争」を体験することはありませんでした。

しかし、紛争を体験することのできなかった私でも、小説やマンガを読むことで、あるいは映画を見ることでそれを追体験することはできました。例えば、こんな風に……。

1970年――それは、青年向けの劇画雑誌はともかく、もっと下の世代を対象にしていたマンガ雑誌にいたるまで、高校紛争をテーマとした作品が掲載されていた時代でした。当時、私は小学館が発行する『週刊少年サンデー』を毎号購読していましたが、かつては手塚治虫や藤子不二雄の小中学生向けの作品が並んでいた誌面は、もう少し上の高校生を主人公とした作品や、より劇画色を強めた作品に取って代われれていました。ちなみに、手元にある1970年34号(8月16日号)のラインナップを見てみますと、掲載13本のうち7本が明らかにそうしたジャンルの作品であることがわかります。

石井いさみ『くたばれ!!涙くん』、梅本さちお『とべない翼』、ジョージ秋山『銭ゲバ』、楳図かずお『おろち』、さいとう・たかお『グループ銀』、望月三起也『夜明けのマッキー』、そして、芳谷圭児の『高校さすらい派』という布陣に、当時、『巨人の星』と『あしたのジョー』で大きく距離を離された『週刊少年マガジン』に対抗しようとするサンデー編集部の意気込みが感じられます。

そこで、『高校さすらい派』です。

舞台は、地方の進学校。学校側に反発し、学友からも孤立した勉、勇介、和子の3人は、ついに学校をロックアウト、校舎内に立て籠もります。和子への愛が届かないことを悟った勇介はみずから死を選び、血友病に冒されている和子は、機動隊が放つ催涙弾による負傷から命を落とします。

ロックアウトされた深夜の校舎屋上から飛び降りた勇介とガラス越しに視線を交わす勉。勉に抱きかかえながら死んでいく和子。自己保身だけの理由で機動隊を導入する校長。学校側の対応に憤り校舎に乱入する生徒たち。彼らを暴力で排除する機動隊。これでもかというくらいの勢いで描かれるドラマは、私を圧倒しました。それが権力者に対する悲憤慷慨であったのか、純愛を貫いた同世代へのシンパシーだったのか、敗れ去る戦いへの挽歌であったのかは、40年以上たった今では判然としません。ただ間違いなく感じたことは、何もできないまま、いや何もしようとせずに日常を漫然と暮らしている自分自身への怒りと焦燥感だったことははっきりしています。

原作は滝沢解、描いているのは芳谷圭児。ともに赤塚不二夫が主宰するフジオプロ劇画部の若いスタッフでした。このあたりの事情については、当時の赤塚番記者だった竹居俊樹の『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』(文春文庫、2007年)に詳しく書かれていますので、興味のある方はぜひお読みください。

封鎖が解かれ、騒然とする校内。その中を、和子を両腕に抱え、ロープで結んだ勇介を引きずりながら歩み去っていく勉……。砂丘を行く3人を見開きで描くシーンと、朽ち果てた廃船を1ページに描くシーンに、作品冒頭で掲げられたのと同じ文章がもう一度、繰り返されています。

いま旅立って行く
盲いた十六歳の老人
あてどなく地の果てまで
みずからを探し求めて
さすらうのだろうか…

かつてここに
ひとつの青春があった

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『高校さすらい派』(滝沢解原作・芳谷圭児画、『週刊少年サンデー』1970年29号~34号、小学館、1970年)

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もう一つの「十六歳の戦争」◆山上たつひこ『回転』

今回は、山上たつひこ『回転』からの名セリフをご紹介しましょう。

ところで、山上たつひこと聞くと、どうしてもギャグマンガ家のイメージが強いですが、それはひとえに『喜劇新思想体系』(1972年)と『がきデカ』(1974年連載開始)の強烈なインパクトによる影響からでしょう。

さて、『回転』ですが、このマンガは、『週刊少年マガジン』1971年3月28日号に掲載された短編です。1971年3月と言うと、同じ『少年マガジン』に掲載されていた長編マンガ『光る風』が、突如打ち切られた前年11月からわずか4ヶ月後のことです。デビュー以来のSFマンガからより社会性を高めたテーマに挑戦し始めていた山上たつひこが、挫折後に描いた第一作で、過激ギャグマンガへの過渡期的作品に位置づけられるものです。

扉には、暗い表情の中年女性の顔がアップで描かれ、タイトルとの間には次のような文章が記されています。

過去・現在・そして未来――
この三つのことばの組みあわせはおもしろい
どのように順序をならべかえても
その意味あいはすこしもかわることがないのだ

物語は、現在と過去をカットバックの手法を駆使して描いていきます。

1971年のある朝、混雑する駅のホームから一人の男性が転落し、電車に轢かれて即死します。事件を捜査する警察は、ほどなく被害者が強大兵器産業の社長であること、事故や自殺ではなく中年の女によって突き落とされた事実をつかみます。

同じ日の夜、一人暮らしの中年女性が戦争中のできごとの回想を始めます。回想シーンのページは、あたかも死者を悼む遺影でもあるかのように、そのすべてが余白を墨ベタで塗りつぶされています。最初の思い出は、勤労動員で働いていた少女のもとに届いた恋人からの手紙でした。徴兵猶予が取り消され戦地に赴くことを余儀なくされた青年からの別れの手紙を淡々と読む少女。次の思い出は、終戦から2年め。戦争から帰ってきた戦友から恋人の戦死を知らされた日の思い出。この瞬間、初めて感情をあらわにした少女は、絶叫するのです。

次の日の朝。普段と同じように通勤電車に乗っている中年女性は、今度は「たった二十四時間まえのこと」を思い出します。自分の前に立っている男が兵器産業の社長であること、男が作り出す武器で限りなり人間の命が失われているという事実。

「なにをためらうことがありましょう」

ここでこのマンガが発表された1971年という時代について考えてみましょう。

高度経済成長のまっただ中、繁栄を極めている日本ですが、その反面、戦争の傷跡はそこかしこに残っていました。ここで言う「戦争」とは、アジア・太平洋戦争だけでに限ったものではありません。ベトナム戦争はますます激しさを増し、アメリカ軍の後方支援基地となった政府と一部企業に対する反発は日に日に高まりを見せていました。

被害者としての日本人。加害者としての日本人。――戦争をめぐる過去・現在・未来は混沌とし、迷宮となり、同時にそこに存在していたのです。

やはり黒枠に囲まれた昭和十八年秋――と書かれた最終ページ。恋人からの手紙を手に立ちつくす少女の全身像にかぶさるモノローグはいたたまれません。

「わたしは/やがて/十六さいの/誕生日を/むかえようと/していたのですよ」

秋吉久美子主演の映画「十六歳の戦争」に先立つこと、2年。戦争の時代を生きた少女の姿を描く、もう一つの「十六歳の戦争」があったのです。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『回転』(山上たつひこ作画、『光る風』2〈サン・ワイド・コミックス〉所収、朝日ソノラマ、1986年):

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迷子たちの40年◆樹村みのり『贈り物』

今から40年前の1972年、私は東京のはずれに住む高校生でした。毎日毎日、学生かばんに教科書と弁当をつめ、都内の男子高校に通っていました。授業もそこそこ、クラブ活動もそこそこ、世の中の動きにもそれなりに関心はあるものの、とりあえずの興味の対象は、とにかく彼女がほしい、のただそれだけ。今にして思えば、何とも情けない高校生だったと思います。

そんな私を置き去りにするように、音を立てて時代は変わっていました。1972年、日本と世界は変化の様相を見せ始めていたのです。手元にある年表を紐解くと――

1月24日にはグアム島で元陸軍兵横井庄一が保護され、2月3日からは札幌で冬季オリンピックが始まっています。アメリカのニクソン大統領が中国を訪問し、共同声明を出したのも同じ2月。3月21日には高松塚古墳の彩色壁画が発見され、4月16日には川端康成が自殺しました。現代まで問題を引きずる沖縄本土復帰は5月15日。大役を終えた佐藤内閣が退陣し、「日本列島改造論」を引っさげた田中内閣が誕生するのが7月6日。その田中角栄首相による電撃訪中、日中共同声明発表は9月のこと。世界に目を向ければ、アメリカによる北爆が再開され(4月)、テロは5月のテルアビブ国際空港での乱射事件、9月のアラブゲリラによるミュンヘンオリンピック選手村襲撃事件と頻発していました。

そして、連合赤軍兵士数名による籠城・銃撃戦――あさま山荘事件もまた、1972年の2月に起こったのです。

40年後の現在までに連合赤軍を取り上げた書籍は、逮捕者・当事者の手記、関係者への取材に基づく記録、研究者による分析など、多種多様な内容のものが出版されています。ノンフィクションに限らず、文芸作品に仕上げられたものや映像化された例、マンガ化されて連載中のものもあります。著者の立ち位置、思い入れなどによって、連合赤軍の歴史的位置付け、闘争過程や手段の評価がまちまちなのはいたしかたないでしょう。それはとりもなおさず、現代史そのもが、未完に終わった〈革命〉をどう取り扱っていいのか、自問自答している最中の証なのかもしれません。

しかし、感受性豊かな一人の女性マンガ家は、事件からわずか2年後の1974年、つまり山岳ベースにおける「総括」という名目のリンチ殺人が明らかにされたその後、世界に向けて夢のような贈り物をしてくれていたのです。樹村みのりが『別冊少女コミック』1974年10月号に発表した短編『贈り物』がそれでした。

夏休みのある日、4人の少年と1人の少女は森でホームレスの男と出会います。「目に見えるものだけが/すべてではないのにね」――少年少女は、夢想のような真実や理想を語るホームレスに興味を持ちながら、非日常を生きる者に対して親や世間が向ける冷たい視線も知っています。だけど、秘密の共有――子どもにとってこれほどスリリングで胸をときめかせる「冒険」はありません。まして、今は永遠とすら思われる時間の夏休みなのですから……。

ある日、ホームレスの男性は、こう語りかけます。

「けれどきみたちがほんとうにのぞむなら/世界はほんとうに美しいものになるんだ」

「ああきみたちがほんとうに真理をのぞみ生きるなら/世界は天国みたいに美しくなるんだよ」

まだ幼い少年少女にこの言葉は届いたのでしょうか、理解されたのでしょうか。私は思います、その想いはちゃんと届いていたのだと――。大人たちに追われて森を去るホームレスが少年少女に残した「天国への切符」――「夢を抱いたままこの世界につなぎとめられて生きねばならないことへの切符」が持つ本当の意味に、少年少女は気がついてくれたのだと。だからこそ、少年少女のその後の生き方を暗示する、青春期を迎えた少女のモノローグは、強く私たちの胸を打つのです。

「それからわたしたちは大きくなった/こどもだったわたしたちはみな大きくなった/わたしたちのうちの一人は留学のために羽田をたったばかりで/もう一人は72年の年の2月の暗い山で道にまよった/兄は/学生時代の最後の年に旅に出たきりまだ帰らない」

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『贈り物』(樹村みのり作画、『悪い子』〈『樹村みのり作品集』子ども編〉所収、ヘルスワーク協会、1999年)

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いつか見た〈革命〉◆真崎守『男たちのバラード』

少しでも日本の歴史を勉強した人ならご存知かと思いますが、日本の歴史において、いまだかつて一度たりとも〈革命〉が実現したことはありません。もちろん、長い歴史のうちには、大化改新(最近では乙巳の変と呼ぶことが多いようです)、鎌倉武家政権成立、明治維新、そして、アジア太平洋戦争敗戦後の諸改革など、〈革命〉らしきものは何度かありました。しかし、過激な変革を嫌い、何事にも中庸を好む日本人特有の国民性からでしょうか、西欧の血であがなわれた歴史に比べれば、それらはいずれの中途半端なもので、とても真の〈革命〉と言えるようなものではありませんでした。

それでも、数少ないチャンスは確実に存在しました。例えば、織田信長の天下統一。もし、信長が本能寺の変に斃れることなく天下統一への歩みを続けていたならば、天皇制や公家制度といった旧支配体制、あるいは仏教など既成宗教(おそらく利用後のキリスト教も)などは根こそぎされ、旧来の慣習や価値観を一掃した、まったく新しい歴史が創られていたことは、まず間違いないでしょう。歴史に「if」を求めても詮無いことですが、日本の歴史が根本から変わるまさに千載一遇のチャンスだったのです。

そして、おそらくは最後のチャンスであったろう、もう一つの機会が、60年代後半の全共闘運動を出発点とする一連の新左翼運動だったのではないでしょうか。運動に直接参加し、権力と闘い、血を流したのは主に学生・労働者たちでしたが、日本中の数多くの市民が、それぞれの立場や手段で彼らを支援し、権力に抗したのです。日本史上初の市民革命に向けての圧倒的ムーブメントが国内を席巻し、誰もが等しく〈革命〉の成就を夢見た季節でした。

みずからも日大闘争に参加していた経歴を持つ斎藤次郎は、こう言い放ちます。

歴史といい、革命と叫んだところで、それらは集合名詞でしかない。集合の個々の要素に通底する熱い思いは、さまざまなリアクションを周辺にまき散らし、それらの交錯の中から、ときには個人の思いを超えたリアリティがはじけとぶ。ぼくたちはそのリアリティの連続性を歴史とよぶのだし、その凝縮された過程を革命とよぶのだ。

こうした状況下に、マンガ家たちもけっして無関心でいられなかったようで、ベテランや若手の区別、少年マンガや劇画の区別に関係なく、多くのマンガ家たちがそれぞれのスタイルでこの政治に季節をテーマにした作品を発表しました。

そうした一人が、デビュー間もない真崎守でした。60年代後半から70年代初期にかけて、真崎守は精力的に幕末を舞台にした作品を発表していきます。現代の情勢を幕末の風雲期に投影することで、そこから逆に現代を考えようとした試みだったのでしょう。発表誌はもちろん、登場人物も別個で、ストーリーも関連性を持たないそうした作品群は、のちに『真崎守選集』全20巻が編まれた際に、『男たちのバラード―連作/燃えつきた奴ら―』としてまとめられることになります。選集収載にあたって、真崎守はオリジナルに徹底的に手を加え、大胆な再構成・再編集を行なっています。この行為は、ただ単に収載ページ数のつごうからつじつま合わせに分量を削っただけではなく、作品によってはストーリーや主題すら変更してしまい、まったく違う作品に生まれ変わっているものもあります。なかでも特筆すべきは、1974年12月に『週刊サンデー毎日』に掲載された『回転』です。何とこの作品は、大きく二つに分解され、前半は本書全体のプロローグに、後半は他作品と組み合わされ『ほのかたらひし』になっているのです。

本書に収められた10編のうち、私がもっとも気に入っている作品が『狂乱囃子』です。『コミックVAN』1968年4月3日号から12月26日号まで連載された『連作/燃えつきた奴ら/幕末刺客行/新撰組篇』シリーズの一編『地獄囃子』が本作のオリジナルです。私はこのオリジナルは読んでいませんが、やはり選集収載にあたり大幅な再構成がなされているようです。

物語は、幕末の京都。主人公の高山要三は新撰組隊士として京の治安維持に奔走するかたわら、ふとしたきっかけで知り合った町娘のお芳の両親を殺した犯人を捜してもいます。近藤勇、土方歳三、沖田総司らとの日々は一見穏やかにすぎていきますが、京のちまたでは勤皇と佐幕、攘夷派と開国派、討幕派と幕府側が対立し、テロが続く毎日です。長州藩浪士による焼き討ち計画の情報を入手した新撰組は、笛と太鼓と鐘の音が聞こえる祇園祭宵宮の夜、浪士(首謀者の一人がお芳の両親殺しの犯人)が潜む池田屋を襲撃します。世に名高い池田屋事件です。乱戦のさなか、高山は犯人と対決し、彼の刀は犯人の体を刺しぬきます。「お芳さんの両親の仇」と叫ぶ高山に、瀕死の犯人はこう言って息を引き取ります。

「いつかきっと/今の事を/思い出す時が/くるだろう。今度人を/斬る時は/自分の為の/理由を/もちたまえ」

他人のためではなく、自分自身のために剣を使え――それこそが、真崎守が幕末日本に生きた群像を通して当時の日本人に伝えたかったメッセージではないでしょうか。組織のためではなく、自分のために闘おう。大義名分や観念的な理論に振り回されるのではなく、自分の夢や求めるもののために闘おう。

物語のエピローグ、局中法度を例に脱走できない立場をお芳に伝える高山。一人残され、たたずむお芳……。しかし、次の見開き2ページにわたってサイレントで描かれているのは、新撰組隊士と斬りあう高山の姿。――それは、「自分の為の理由を」持って――脱走し、お芳と二人で生きるために「人を斬る」高山の姿にほかなりません。結末を明らかにすることなく斬りあいは暗転し、ラストの1ページへ。1ページ大に描かれた東寺の塔のシルエット。塔上の虚空に書かれた名セリフが、これです。

幕末は/陽炎にも似た/時代だ

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『男たちのバラード』(真崎守作画・斎藤次郎解説、『真崎守選集』1、ブロンズ社、1978年)

注:本選集全巻の解説を執筆した教育評論家で優れたマンガ原作者でもある斎藤次郎は、2007年9月、大麻取締法違反の現行犯で逮捕されました。その後の経過について詳しいことは判りませんが、現在、そのブログは閉鎖され、活動は休止しているようです。

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リリシズムの宝石箱◆石森章太郎『竜神沼』など

石森章太郎のマンガの魅力の一つには、その類いまれな叙情性があると思います。雑誌『COM』に連載された『ジュン』を頂点するであろう、石森章太郎のリリシズムは、初期の少女マンガにその萌芽を見ることができます。今回は、そうした石森章太郎の感性――きらめくリリシズムあふれる作品と、そこに描かれた名セリフをご紹介してみたいと思います。

私が宝物のように大事にしている2冊のマンガ単行本があります。朝日ソノラマ社から発行された『竜神沼(1967年)と『あかんべえ天使(1968年)がそれです。この2冊の単行本、タレントの彦麿呂の言葉を借りるならば、まさしく「リリシズムの宝石箱やぁ!」。

前者には、少年が体験するひと夏の純愛を、静と動の切返し、自然描写と感情表現のみごとなカットバックで表現したファンタジー『竜(画中では「龍」)神沼』、侵略テーマのミステリ『金色の目の少女』、鶴の恩返しと雪女の民話世界がラストの1ページで衝撃的展開を遂げる『雪おんな』、ロバート・ネイサンの『ジェニーの肖像』へのオマージュ『昨日はもうこない だが明日もまた』、そして吸血鬼伝説を1903年のオーストリア、1962年の日本、2008年のアメリカを舞台に、それぞれ霧・薔薇・星のキーワードで描いたSF『きりとばらとほしと』の5編が、Images3 後者には、戦争の傷跡がまだ人々の生活に暗い影を落としている時代のラブロマン『夜は千の目をもっている』、石森版『不思議な国のアリス』ともいえる『虹の世界のサトコ』、大時代的な絵物語『水色の星』、バレエ界を舞台に大人の世界と少女の世界がシンクロする『ガラスのマリ』、名作童話のマンガ版『赤ずきんちゃん』、そして安アパートに暮らす住人の人生模様を、少女の日常から描いた群像劇『あかんべえ天使』の6編が収められています。

これらの短編のなかでも、『竜神沼』『きりとばらとほしと『夜は千の目をもっている、そして『あかんべえ天使』……。以上の4編は、私が特に大好きな名短編です。

リリシズム、という表現手段は、ある意味、マンガでは割と簡単に使える表現手段のように思われがちです。しかし、ただ単に咲き誇る花々や満天の星々をストーリーの間に挿入するだけでは、それは安易な現実逃避や少女趣味となってしまうと思います。たしかに石森章太郎も、こうしたオーソドックスな手段を使ってはいますが、その作品が他者と一線を画してきわだっているのには、もう一つの理由があります。

例えば、『竜神沼』の一シーン。初めて沼を訪ねた少年・研一と、いとこ・ユミとの会話。

「茂りし森の奥深く/黒く声なく沼眠れり…か」「なあに? そのうたみたいの」「うん? ああポオルヴェルレェヌという人の詩の一節さ」

例えば、『きりとばらとほしと』の各章の冒頭にそれぞれ掲げられた、テーマに即したヘッセ、スウィンバーン、ダンテの詩の一節。

例えば、『夜は千の目をもっている』で、要所要所でヒロインが歌う、タイトルの由来にもなっている曲(原詩はイギリスの詩人Francis William Bourdillonの詩)。

夜は千の目をもっている/だけど昼にはただひとつ/日がしずかにしずむとき/この世のすべてのあかりも死んでしまう

夜は千の目をもっている/だけど心にはただひとつ/愛がおわりをつげたとき/いのちのすべてのあかりも死んでしまう

石森章太郎がトキワ荘在住の修行時代から、古今東西の小説や映画などを読みつくし、見つくしたことは有名ですが、こうして蓄積された該博な知識がさりげなく描きこまれることで作品には深みが与えられ、凡百のマンガから一線を画した真の意味でのリリシズムが表現されてきているのだと思います。この2冊に収められた各作品が、もともとは少女向きの雑誌に掲載されていたものであることも、ことさら作風に叙情性・リリシズムが反映していることの理由かもしれませんが、その後の主な活動の場所となる少年向き雑誌に掲載される作品にも、こうしたリリシズムの傾向は顕著に見受けられます。例えば、SF冒険活劇としてスタートした『サイボーグ009の「地下帝国ヨミ編」(1966年)の最終話「地上(ここ)より永遠(とわ)に」のラスト。流れ星になって地上に落ちていくジョウとジェット――夜空を切り裂くその光芒に世界中の人々の幸せを祈る少女……。レイ・ブラッドベリの名短編『万華鏡』がこのオリジナルであることを知るのはずっと後のことですが、私はかつてこれほど美しく、哀しく、そして希望に満ちたシーンを見たことはありませんでした。

しかし、リリシズムという感性は、人の一生のほんのわずかの時期――青春と呼ばれる一時期にしか存在しないようで、晩年の石森章太郎の作品からは、残念ながら画力の完成度と反比例するように消えていってしまいます。

「…かなしい歌だな」「わたしたちみんなの心のように…」

それにしても、こんなセリフが、少女マンガ(『夜は千の目をもっている』)の中でさりげなく使われていること自体、まさに奇跡としか言えませんよね!

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『竜神沼』(石森章太郎作画、『竜神沼』〈サンコミックス6〉所収、朝日ソノラマ、1967年)。『夜は千の目をもっている』(同、『あかんべえ天使』〈同25〉所収、同、1968年)

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始まりは、愛◆石森章太郎『リュウの道』

2009年、明けましておめでとうございます。

2年目を迎えたこのブログ、昨年の実績を見ると忸怩たるものを感じてしまいますね。今年はもっともっと話題を提供して、皆さんの目にとまるよう頑張りたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

さて、新春早々の名セリフは、おめでたく「愛」を語ったものをご紹介してみましょう。

「――われわれをむすび/滅亡から救い成長させるのは/゛愛゛の力以外にはないんだ――」

昨年末はテレビのコマーシャルで、やたらとザ・ビートルズの「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」が流れていました。「愛こそはすべて」という理想は理想としてけっしておろそかにするつもりはありませんが、この年になってくると、「愛」だけではたった一人の飢えた子どもも救うことはできないという現実も十分わかっています。このセリフにしても、今聞いてみると、やたら大上段に振りかぶりすぎて、聞いているこちらの方が恥ずかしくなってきてしまいますが、逆にここまでストレートに言われるとすがすがしささえ感じてしまいますね。もちろん、初めて読んだときの私には、そんなうがった見方などできませんから、ひたすら感動したことを覚えています。

出典は、石森章太郎のSF大作『リュウの道』。その最終章「終末のない終末 始まりのない始まり」の大団円、リュウの最後のセリフがこれでした。このセリフのあとには登場人物の誰のセリフもなく、見開き12ページにわたって、浜辺でのマリアとの再会、はだかで抱きあう二人とそこから生まれる生命の発生過程、子宮に眠る胎児、スターチャイルド、大銀河と黙示録的なシーンが続きます。

人類滅亡後の地球に日本初の恒星間宇宙船フジ1号が着陸してくる冒頭シーン。密航が露見し冷凍睡眠処理されていたことで乗員中の唯一の生き残りとなった柴田リュウ。人類と文明の生き残りを探す旅に出たリュウが目にするのは、食肉植物や野獣、原人、異形のミュータントが跋扈する魔境であり、あるいは、マイノリティーとなった人類を駆逐するロボットが支配する街でした。ようやくコロニーに落ち着き、そこを拠点にリュウら旧人類と異変後の新人類の未来を作ることを誓う第一部。インターミッションの「ブリッジ」を経て始まる第二部も、当初はコロニーに忍び寄る侵略者や外的との戦いを描いていますが、先に述べた最終章あたりから物語の色調が一変します。次々に現れる敵との戦いはアドベンチャー・ロマンとして楽しめますし、魔界横断旅行を経て成長していくリュウの姿はヴィルドゥンクス・ロマンとしても読むことができます。しかし、こうした色彩はすっかり色を潜め、物語はより思弁的な思想性に富んだものへと変化していきます。最終章の「神」との対話シーンは、マンガの可能性を限界にまで高めた表現力、時空間を自在に操ってみせる斬新なコマ割り、文章と絵のコラボレーションと、石森章太郎の円熟した画力とイマジネーションがみごとに溶けあい、センス・オブ・ワンダーの魅力あふれる作品になっています。

このように、『週刊少年マガジン』に、1969年14号から70年52号まで長期にわたって連載された『リュウの道』は、日本の正統的SFマンガの到達点を示すもので、石森章太郎の数多いSFマンガの中でも五本の指に数えられる名作と言って間違いないでしょう。このマンガが連載された60年代末から70年代初期は、かたや日本万国博覧会に代表される「ばら色の未来」が喧伝される一方、深刻化する公害やその被害者をめぐる現実が問題となっていた時代でした。走りに走り続けた戦後日本が、ようやく立ち止まり、周りを見回そうとし始めた、そんな時代だったのでしょう。そうした時代感覚を色濃く受けた『リュウの道』は、当時の少年誌掲載作品としては異例の作品だったと思います。娯楽性が極力抑えられた重厚なテーマ、今では表現不可能な障害者・ミュータントなどのリアルな描写。人気のみが重要視される昨今の連載マンガ状況から考えれば打ち切り確実の作品を、最後まで2年近く掲載し続けてくれた講談社の英断には驚かされます。「神」との対話を終え、宇宙的生命として覚醒したリュウは、先のセリフをつぶやき、マリアたち仲間のもとに帰ることを決意します。

同じ頃、石森章太郎は雑誌『COM』に、代表作『サイボーグ009』の新シリーズ「神々との闘い編」の連載を開始します(1969年10月号~70年12月号)。こちらも従来の冒険活劇調から一転、思想性を深めた実験的な作品に仕上がっています(大半の009フリークからはスポイルされたようですが)。石森章太郎自身にとっても、両作品は少年マンガから、いわゆる劇画へスタイルを変えていこうとする過渡期の作品であったのです。

同時代を生きた手塚治虫に関しては作品論や作家論など多くの著作が上梓されています。マンガ家としての石森章太郎への評価は高いものがあり、没後の人気だって手塚治虫に劣るものはありません。それだけに、きちんとした研究がなされていないことは残念でたまりません。今年、2009年を、末尾三桁の009にちなみ『サイボーグ009』の年と位置づけ、キャンペーンが進むと聞いていますが、どうか商業主義に陥ることなく、これを期に石森章太郎に関する研究が進み、成果があがることを祈っています。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『リュウの道』8(石森章太郎作画、『講談社コミックス』121、講談社、1971年)

注:後年、石森章太郎は「石ノ森」と改姓しますが、今回の表記は作品発表時の名前をそのまま使用しています。

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