カテゴリー「歌謡曲」の記事

サナギが蝶になるように◆南沙織「バラのかげり」

バラの花を私はそれほど好きではありません。幾重にも花びらを重ね合わせた、ぼてっとした形もそうですが、赤や黄色といった明るい色調のはずが、よく見ると妙に暗く重苦しく感じられてしまうところなど、どうしても好きになれないのです。バラの花ばかりを集めたバラ園よりも、一面のレンゲ畑や菜の花畑のような牧歌的な風景を好んでしまいます。

バラの花に関する思い出もそれほど多くはありません。大学生の頃に好きだった女の子が、「薔薇」と書いて「そうび」と読ませる言葉のついた名前のアパートに住んでいたことくらいでしょうか。それでも、この季節、咲き誇る五月のバラを見ると、初夏の訪れが近いことを感じ、うきうきとしてしまいます。

あ、もう一つありました。当時、よく聞いていた歌謡曲の一節に、

「一つずつ哀しみを/脱ぎすてていくのよ/いつの日かあでやかに/現われてみせるわ」                                                                             

があります。南沙織「バラのかげり」(1974年3月21日発売)のサビの部分です。

デビュー曲の「17才」以来、南沙織のシングルは、ある時期までずっと作詞が有馬三恵、作曲が筒見京平の強力コンビで作られています。この曲はその二人の10作目の提供作品。南沙織にとっては11枚目のシングルです(数が合わないのは、その間に1曲だけカバー曲がシングルカットされているからです)。作詞を担当した有馬三恵子は、のちに、17歳の少女が成長していく過程を時系列で曲にして提供していったことを明らかにしていますが、たしかに初めは恋に恋するような純情な少女が、やがて初恋を体験することで青春の門をくぐり、8曲目の名作「色づく街」では、ついに失恋の痛手を負ってしまうのです。

そして、心と体に大きな傷を残したままの少女は、この10作目の「バラのかげり」で、しなやな強さを持った女性として私の前に現われたのでした。

いいですね。生まれてはじめての失恋のショックに身も心もぼろぼろに傷つきながら、そうした哀しい思い出を脱ぎ捨てて、前よりももっと魅力的な存在として復活することを心に誓うことができる、この少女の強さとたくましさ。過ぎ去った過去にいつまでもしがみついてうじうじと悩んでいるよりも、サナギがある日美しい蝶に変身するような「あでやか」なメタモルフォーゼを予感させる宣言。何度力尽きて道に倒れ伏しても、人はそのつど前よりも美しく、たくましく甦ることができるのです。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:「バラのかげり」(有馬三恵子作詞・筒見京平作曲・南沙織歌唱、1974年)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トリオのゆくえ◆キャンディーズ「微笑がえし」

いつの頃からでしょうか、「ユニット」という考え方が芸能界で一般化したのは。個人としては人気も実力もいまいちの歌手やアイドルを戦略的にグループとして売り出す例は、「モーニング娘。」や最近の「羞恥心」の例を挙げるまでもなく、芸能界ではやたら目につく今日この頃です。

古くは60年代の「御三家」(西郷輝彦・橋幸夫・舟木和夫)が私にとってのユニット初体験となるわけですが、やはり画期となったのは、70年代に一世を風靡した天知真理・小柳ルミ子・南沙織の女性アイドル三人組と、それに続く桜田淳子・森昌子・山口百恵の「中三トリオ」だと思います。ただ、こうした女性アイドル・ユニットや、同じ頃の「新御三家」、その後のジャニーズ系ユニット「たのきんトリオ」などの男性アイドル・ユニットが、基本的にソロ歌手を売り出すための期間限定ユニットであったことを考えれば、純然たる「トリオ」としての成功例は、やはりキャンディーズをその嚆矢とすべきではないでしょうか。

伊藤蘭田中好子藤村美樹――1972年4月にNHK番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして芸能界デビューして以来(ちなみにこの時点ではユニット名はありませんでした)、78年4月4日の後楽園球場でのお別れコンサート(ファイナル・カーニバル)までに至る、彼女たち3人がたどったキャンディーズとしての軌跡は、ちょうど私の高校から大学時代とみごとに重なっています。「あの時代」を象徴する女性歌手、私にとってのアイドルを挙げるとすれば、私は間違いなくキャンディーズを挙げることでしょう(メジャー系ではほかに太田裕美。なお、アングラ・マイナー系の裏アイドルたちについては、またの機会に)。キャンディーズの三人の芸能界からの卒業をテーマにしたラスト・シングル「微笑がえし」がヒットチャートを急上昇していた78年の早春、私もその歌詞に涙しながら、不完全燃焼のままに終わった学生時代にピリオドを打ったのでした。

「おかしなものね/忘れたころに見つかるなんて/まるで青春の想い出そのもの」

今でも「微笑がえし」のこの一節を耳にすると、70年代中頃の大学生活が鮮やかに蘇ってきます。当時、地方から上京して東京の大学に通っていた学生の何人かは、下宿代が安いことや管理体制がきちんとしているなど、もっぱら保護者側の理由から、まずは大学の学生寮や、それぞれの出身県が運営する県人寮に下宿していました。まだ数もそれほど多くない洒落た造りの学生専門マンションに住んでいたのは、ごく一部の、お金持ちの両親を持つ真面目なお嬢さんだけったような気がします。ところが一年もすると、門限や掃除当番などの煩雑な規則、相部屋ゆえのプライバシー問題、あるいは上級生とのあつれきなどからは、学生寮や県人寮に入った友人の多くは、そのほとんどが街の下宿屋やアパートに移っていきました。親元から通学していた私は、よく終電車を乗り過ごしては友人の下宿に転がりこんでいたものでした。酒屋の店先から拝借してきたいくつものビールケースを逆さまにして並べ、その上に布団を敷いてベッド代わりにしていた友人。テッィシュペーパー持参で入った廊下の共同便所。大家と共有の玄関から上がりこみ、足音と忍ばせて上った狭い階段。四畳半の部屋の片隅に置き去りにしたままの、ホコリだらけのあの頃の懐かしい想い出たち………。

お別れコンサート直後に出た音楽雑誌に、こんな内容のレポートが載ったことを覚えています。

「……コンサートの中で歌われた『哀愁のシンフォニー』のサビの部分、三人が観客に向けて「こっちを向いて」と歌いかけるのを受けて、観客席からはいっせいに紙テープがステージめがけて投げられた。夜空を背景にしてアリーナ席に座っている自分の上を越えていく七色のテープは、息をのむほど美しかった。そして、ステージにと届くことなく地面に落ちてしまうテープは、けっして彼女たちに届かない自分の思いにも似ていた……」。

思いは届くのだろうか……。好きだった女の子への思い、世の中の変革を求める思い、自分の将来に対する漠とした思い……。思いは届くのだろうか……。

歌はもちろん、コントにもその才能を遺憾なく発揮して明るい笑いを振りまいていたキャンディーズは、今ならば、バラエティー番組の常連となっていたことでしょう。事務所の方針がそうだったのでしょうか、コンサート活動に重点を置いていたキャンディーズには、残念なことに代表作となるテレビドラマや映画はありません。日本版「チャーリーズ・エンジェル」など、彼女たちの主演で映画化でもされていたらきっと面白いものになっていたでしょうに、これは本当に残念なことです。……。もちろんメンバー一人ひとりについて見てみれば、例えば伊藤蘭だけに限っても、解散間もなくの、映画「ヒポクラテスたち」で見せた抜群の存在感や、つい最近のテレビドラマ「風のガーデン」で見せた年相応の演技など、はっとするものが少なくありません。しかし、私が見たかったのは、ユニット=トリオとしてのキャンディーズが演じた作品であり、それがかなわなかったことは残念でたまりません。

私にとって、そしておそらくは、同時代を生きた多くの男の子たちにとって、キャンディーズが単なるアイドル以上の意味を持っているのは、つまるところ、1977年7月17日、日比谷野外音楽堂でのコンサートにおける、あの衝撃的メッセージ、

「普通の女の子に戻りたい」

につきると思います。事務所やテレビ局の言いなりになっているだけの、文字どおりのアイドル=偶像とは一線を画し、みずからの意思を貫き通した彼女たちの潔さ! 結果として、キャンディーズの3人は、解散後、それほどの時間をおかず芸能界への再デビューを果たすことになり、藤村美樹を除く伊藤蘭と田中好子は、現在も女優としての活動を続けています。こうした再デビューは私にとっても予想の範囲内の行動でしたが、「去り際の美学」に共感することで、彼女たちの引退を美化し、伝説化していただけに、これには釈然としないところもあったのも隠しようのない事実です。いずれにせよ、最盛期に電撃的に引退し、しばらくの後にイメージを変えて再デビューをはかる、というパターンはここから始まったのです。

さて、キャンディーズの引退後、その成功の後を追って二匹目、三匹目のドジョウをねらい、いくつもの女性アイドル・トリオがデビューしました。ざっと思い出すだけでも、キャンディーズの正統後継者としてデビューしたトライアングル。泣かず飛ばずのうちに解散し、一人はにっかつロマンポルノに主演したのではなかったでしょうか。同じく鳴り物入りでデビューした少女隊。のちにヘアヌード写真集を出した女の子もいました。寄せ集め、やっつけ企画の見本だったアパッチ。「佐和子があぶない」のキャッチコピーを持つ主演映画「夏の秘密」を残したパンジー。顔も浮かばないスターボー。欽ちゃんファミリーのわらべ。いい子であり続けることを義務づけられながら、それに反逆して生きた一人の末路の哀れさ。変わり種では、麻生真美子&キャプテン。キャプテンの二人は、もともと松本伊代の後ろで踊っていた二人組。スタイル抜群の麻生真美子は、解散後、廃工場を舞台に撮影したボンデージ写真集でみごとな裸身をさらけ出しました。そして、リボン。永遠のベビー・フェイス、永作博美は、今や女優として大成しています。

はかなさがアイドルの条件であるならば、短期間のうちに芸能界を全力疾走で駆け抜け、私たちの心に生涯消えることのない残像を焼き付けたキャンディーズこそ、もっともアイドルらしいアイドルだったのかもしれません。お別れコンサートから31年、その間に、解散、ばら売り、転身、引退……という運命をたどった「キャンディーズになれなかったトリオのゆくえ」に思いを馳せつつ、このあたりで今回はおしまいにさせていただきます。

あっ、ここで問題です。私が、当時、一番好きだったキャンディーズのメンバーは、だれでしょう? ま、どうでもいいけどね。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:「微笑がえし」(阿木燿子作詞・穂口雄右作曲・キャンディーズ歌唱、1978年)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

変わる季節に◆荒井由実「『いちご白書』をもう一度」

営団地下鉄の神保町駅からJR御茶ノ水駅に抜けるコースはいくつかあります。もっともポピュラーなのが靖国通りを駿河台下交差点で左折して明大通りを上っていくコースでしょうが、私の好きな散歩コースに、交差点手前で左折して次の小学校の角を右折し、錦華公園脇の坂道を登り、明治大学校舎や山の上ホテルを横に見て、とちのき通りかかえで通りを経由するコースがあります。秋も深まると、坂道の途中にある大銀杏がみごとに色づき、坂道は黄金色の落ち葉で敷き詰められます。この錦華公園脇を通るたびに、私はあの有名なエピソードを思い出してしまいます。

70年代のまだ早い時期、長髪の大学生が二人、お互いの髪の毛をはさみで刈りあっていたのを一人の早熟な少女が目にします。このシーンは少女に強い衝撃を与え、のちに歌手となった少女は、この日の情景をもとに一曲の歌を作ることになります。そう、誰もが知っている、荒井由実「『いちご白書』をもう一度」誕生伝説です。

荒井由実から曲の提供を受けたバンバンのこの歌を聞いたのは、大学生のころ。社会人になるまでに許された4年間の執行猶予、その長いようで短いモラトリアムの、ちょうど冬が訪れる前の小春日和のような毎日を生きていた私に、この歌はすぐそこに迫っている逃れようのない現実を突きつけたのでした。実際は、「就職が決まって」髪を切るのではなく、「就職活動を始める」ために髪を切るのですが、長髪からリクルート・カットに整髪し、ジーンズから背広姿に着替え、会社訪問を始めなければならないという現実は、怠け者の私にとっては耐えられないものでした。

「就職が決まって髪を切ってきた時/もう若くないさと/君に言い訳したね」

「転向」という言葉がまず浮かびました。季節が変わるように人はそんなに簡単におのれの生き方を変えていいのだろうか? それこそ「変節」であり、それまでの自分に対する裏切りではないのか? すぐそこまで来ている自分の変わり身の時を嫌悪しつつ、なすすべもなく毎日を過ごす私でした。

そんなわけで、私はこの歌が大嫌いです。あれから30年以上が過ぎて、今でも懐かしの歌番組などでバンバンの生き残りの、いい年をしたおっさんのばんばひろふみがこの歌を歌うとき、「いい加減にせいや」と、たまらないやりきれなさに包まれてしまうのです。甘っちょろい失恋話のオブラートで包み込むことで、若さゆえの「転向」や「裏切り」を美化することはやはり許されない行為だと思うのです。だけど……。

心の中で唾棄すべき歌と拒否しながらも、それでも私がこの歌に惹かれてやまないのは、荒井由実の歌つくりのうまさによるものでしょう。哀愁感あふれるメロディラインはもちろん、あえて思い出の映画を「いちご白書」にした叙情性などが、学生運動の余燼がくすぶっていたあの時代を生きた私たちをとらえてしまったのです。そして、理想と現実のギャップを知り、ほんねとたてまえの使い分けを覚えることで、大人になっていく私たちの悲しい現実を描ききったことで、この歌は普遍的な生命を得たのではないでしょうか。

心のどこかでこの歌が大好きだとつぶやくもう一人の私がいます。拒否しながらも受け入れてしまう……そうしたアンビバレンツが、この歌の魅力となっているのではないでしょうか。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:「『いちご白書』をもう一度」(荒井由実作詞・作曲、バンバン歌唱、1975年)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

これぞデカダン◆都はるみ「北の宿から」

今日の『朝日新聞』朝刊読書欄に、昨年8月1日に亡くなった作詞家の阿久悠に関する本の特集が掲載されていました。たしかに昭和時代後期の日本芸能史を語るにあたって、彼、阿久悠の存在とその作品なしで、この時代を語ることはできないでしょう。

当時、つまり私がテレビの歌番組にかじりついていた70年代中期から80年代にかけては、まさしく歌謡曲の全盛時代でした。ド演歌を歌う往年の歌手からスーツ姿の正統派、派手な衣装のアイドル、そしてジーンズにTシャツのフォーク・グループまで、ありとあらゆる年齢層、ジャンルの歌手たちが、「歌謡曲」というくくりで同じ番組で歌を歌っていました。Jポップどころかニューミュージックという言葉すら、まだ無いような時代でした。

阿久悠のすごいところは、そうした演歌からポップスまで当時の日本中に流れたありとあらゆる種類の楽曲に、つねに標準以上の作品を提供し続けたことです。アイドルだけに限ってみても、おもに「スター誕生」出身者の男女アイドルを中心に、それぞれの個性や成長の度合いに応じて、かつてのプログラム・ピクチャーよろしく3ヶ月に1作の割で作品を提供しています。ここにおいて、アベレージ・ヒッターとしての阿久悠の特長は、いかんなく発揮されているのでしょう(でも同じ「スタ誕」出身の山口百恵には1曲も提供していないのです、不思議ですね)。

ところで、阿久悠といえばピンク・レディーのメガヒットが連想されがちですが、彼の真骨頂と言えるのは、「大人」を対象にした「大人」の歌手への作品ではないでしょうか。

「あなた死んでもいいですか/胸がしんしん泣いてます」

恋に破れ、男に捨てられ、一人、厳寒の町で、こうつぶやく女の心情。失恋の痛手や、男への恨み、未練など、そういった心の傷すら凌駕した、諦念にちかいこのつぶやき。もちろん、こうつぶやく女には、死をほのめかすことで相手の男を脅そうという気持ちなどは毛頭ありません。だからこそ怖いのです。百万遍の恨み言を聞かされる以上に、この言葉を聞いた男は心底震え上がるに違いありません。

都はるみが歌う「北の宿から」の一節は、まさしくデカダンのきわみなのです。

セリフの履歴

出典:「北の宿から」(阿久悠作詞・小林亜星作曲・都はるみ歌唱、1975年)

| | コメント (0) | トラックバック (0)