カテゴリー「映画」の記事

みっともないけど、青春◆神代辰巳「青春の蹉跌」

神代辰巳監督没後20年を記念した上映特集で、久しぶりに「青春の蹉跌」を観ました。

私は、18歳の頃からずっと映画の鑑賞ノートをつけていますが、その記録には、この映画を初めて観たのは1974年6月26日、東宝試写室にて、と記してあります。当時、私は大学1年生。映画をマスコミの評判や話題性ではなく、監督や役者さんにこだわった観るようになったちょうどその頃です。いっしょに観たのは、毎日のようにつるんで名画座を回っていた友人S。

原作者の石川達三が、「ポルノ映画の監督に撮らせるなんて!」と激怒したといううわさ、そして、「ポルノ映画監督」神代辰巳以下、脚本の長谷川和彦、音楽の井上堯之といった製作陣、萩原健一(以下、ショーケン)や桃井ら役者の顔ぶれ、日活ではなく東宝で作られたことが、この映画の1974年当時の日本映画、いやサブカルチャー全体における位置づけをよく表わしていると思います。

私にとってショーケンは、ザ・テンプターズのボーカルではなく、やはりテレビ「太陽にほえろ」のマカロニ刑事のインパクトが強い存在でした。前年の夏、立ち小便をしながら暴漢に刺殺されるかたちで殉職(正式には職務中ではないので殉職には相当しないそうですが)した、その格好悪い幕切れは、それまでの「不死身」に近いヒーローが活躍する刑事ドラマの常識をくつがえしました。

それは、みっともなく、格好悪い、ぶざまな「青春」こそが、私たちが生きているこの現実社会ではリアルな「青春」の姿なのだということを、あらためて教えてくれたと思っています。

この映画においても、ショーケンは本当にどうしようもないくらいみっともない青春をおくっています。ゲバ棒を振るっていた過去を封印し、裕福な親戚から金銭的援助を受け、司法試験に合格し、孕ませた女を捨てて別の女と婚約し、「陽の当たる場所」を目指す姿は、おそらく当時の私にとっては、もっとも唾棄すべき男だったはずです。でも、なぜかそうは思わず、そんなショーケンに思い入れしてしまう自分自身がいました。

なぜなのでしょう? 闘争の残滓をただよわせる森本レオ扮する活動家の先輩とのやりとり、恫喝し思い通りにさせようとする援助者への屈折した感情、成り行きで孕ませた桃井かおりを殺してしまう短絡さ……そうした内にこもった感情を見事に演じきったショーケンと、神代監督の自在な演出力のせいなのでしょうか?

「みっともない青春」を体現し、私に圧倒的なインパクトを与えてくれたショーケンは、翌年のテレビ「傷だらけのい天使」最終回、頓死した水谷豊をリアカーに乗せて夢の島のゴミの中をさまよう姿で再び現れることになるのです。

映画のラスト。逮捕状を持って試合会場を訪れた刑事(「太陽にほえろ」で共演した長さんこと下川辰平という楽屋落ち!)は、ハーフタイムを終えて試合に戻ろうとするショーケンを止めようとする同僚に、こう言います。

「ほうっておけ、どこへも逃げられやしないよ」

でも……。初めて試写会で観た帰り道、友人Sが言った言葉、「逃げられる所は一つだけあったんだよな」は、今でも忘れられません。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

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出典:「青春の蹉跌」(神代辰巳監督・長谷川和彦脚本、1974年公開)

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職務質問されたなら◆寺山修司「田園に死す」

何年か前、出張で青森県の三沢市を訪れたことがあります。海岸沿いに立つ巨大な工場を視察した後、夜の宴席までの時間をつぶすため、現地担当者が寺山修司記念館に連れて行ってくれました。記念館に向う自動車の中で担当者は、「変な場所しかご案内できなくて申し訳ない」「派手な建物ばかり作っちゃって」と、ひたすら言い訳ばかりを続け、記念館に着いてからも、「寺山修司なんてご存じないですよね」とか「つまらなかったらすぐに帰りますから」と、こればっかり。たしかにお偉方の同行者にとってはそうだったのかもしれませんが、私にとっては寺山修司の記念館を訪問できるなど、まさしく千載一遇のチャンス。この機会を逃しては二度と訪れることもないだろうと、わくわくしていたことを覚えています。

残念ながら私は、万能の天才、寺山修司の業績のうち演劇はとうとう観ることはできませんでした。いわゆるアングラ劇、小劇場演劇に目覚めた頃には、すでに寺山が主宰する天井桟敷は解散しており、ただその作品のみが伝説となって語り継がれていました。短歌とか詩とか、少女向きのお話しから寺山の存在を知り、次に映画など映像作品に進んだ私は、ついに演劇作家としての寺山を体験することはかなわなかったのでした。

誰だったかは忘れてしまいましたが、早稲田大学に入学したものの、想像していた大学生生活とのギャップに思い悩んでいたとき、偶然に座った大教室の机に彫られていた寺山修司の短歌、

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

に救われた、というような文章を読んだことがあります。

同じように、私にとって寺山修司の映画は、それまで観ていた映画の概念を根底からくつがえしてくれるものになりました。映画の面白さを、起伏に富んだストーリーと緻密な脚本、そしてそれを忠実に演じる役者に求めていた私にとって、「実験映画」とも称された寺山の映画は驚きの連続でした。

初めて寺山修司脚本・監督の「田園に死す」を観たときの衝撃。過去と現在が交じり合った記憶の羅列のような物語。悪夢さながらに登場するサーカスのフリークスたち。母親との近親相姦願望、恐山・イタコ、覗き見、そして、故郷への訣別と放浪への憧れ……。きわめつけは、あのラストシーン!!

「生年月日、昭和四十九年十二月十日。本籍地、東京都新宿区新宿字恐山!!」

故郷の陋屋でちゃぶ台をはさみ母親と食事をするシーンに、このセリフがかぶるやいなや、突然奥の壁が向こう側に倒れると、そこは何と新宿駅東口広場の雑踏! 映画ならでは映像マジックここにきわまれリ、前代未聞の演出に私は本当に驚かされました。

幸か不幸か、私はまだ官憲から職務質問をされた経験はありませんが、そんなとき寺山修司のこのセリフを口にしたら、彼はどんな反応を示すことでしょうか。公務執行への妨害といきりたつか、ヨッパライのたわごとと眉をしかめるか、「おっ、それ寺山だね」と理解を示してくれるか……まあ、三番目の可能性は限りなくゼロに近いでしょうけどね……。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

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出典:「田園に死す」(寺山修司監督・脚本、1974年公開)

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鳥は今、どこを飛ぶ?◆藤田敏八「赤い鳥逃げた?」

私に、監督や役者さんで映画を見ることを教えてくれたのは、TBSラジオのアナウンサーだった林美雄でした。深夜放送「パック・イン・ミュージック」の金曜日第二部の担当だった林美雄の放送から私はさまざまな影響を受けましたが、その最たるものとして、低迷ぶりばかりが喧伝されている日本映画には、たとえロマンポルノやB級アクションなどと差別されてはいても、こういう素晴らしい映画もあるんだよ、ということを教えてくれたことでしょう。

今回は、私が林美雄の影響で大好きになった監督の藤田敏八が、これまた私の大好きなの原田芳雄を主演にして撮った作品「赤い鳥逃げた?(1973年公開)からこのセリフを。

「やることが無くなりゃ、ジジィだろ」

チンピラの原田芳雄とその弟分の大門正明、そしてフーテン娘(実は大金持ちのお嬢さん)の桃井かおの三人。欲望のままにその日暮らしを続ける三人ですが、世の中に反逆のキバを剥くようでいて、その実、暴力とセックスだけの満ち足りない生活に対して心のどこかで不安に思っているのでしょう。若くして老いてゆくことへの怖れや焦燥感を言い尽くしたセリフは、こう続きます。

「誰も、俺たちを探しちゃいない。誰も、俺たちを待っちゃいない。このままじゃ、俺は29歳のポンコツだ。中年を飛び越えて、いっぺんにジジィになっちまうぜ!」

そして、この映画の三人もまた、例えばリングで真っ白に燃えつきた矢吹丈と同じように、醜く老いてゆくこともなく、一瞬のきらめきで燃えつきてゆくのです。ボニー&クライド風の三人の最期を、一つのことに打ち込んだ末に燃えつきた矢吹丈と同一に捉えることには異論もあるかもしれません。ただこの当時、すでに世の中は、変革のためには暴力すら辞さない学生運動の時代から、甘えや馴れ合いとも見まちがうような「優しさ」の時代に移り変わろうとしていたのです。この映画は、そうしたあやふやな、どこかまやかしめいた時代への強烈なアンチテーゼにほかならなかったのではないでしょうか。

当時の私は、心のどこかでこの三人組のような生き方に憧れつつ、でもけっして自分自身はそうは生きられないことをよくわかっていました。何も事件らしい事件もないまま、何も華やかなできごとも無いまま、これからも生きていくしかないだろう。そうやって年を取っていくのが現実なんだ……。それならば、いっそ私は、これからの人生、うれしいことや悲しいこと、辛いことなどがあるだろうけれど、その中をのうのうと生きぬいてやろうと考えていました。あえてダラダラと生きることを是とし、そうやって現実に向かい合ってゆこうと、開き直っていたのかもしれません。

ですから私は、原田芳雄が演じていた体制に媚びないアンチヒーロー(例えば、(野良猫ロック」シリーズのフーテンや、「反逆のメロディ」のジーンズ姿のやくざなど)のように、暴走の果てに鮮烈に死んでゆく男たちよりも、次第にもっと等身大の、かっこ悪く生きている若者たちに共感を感じ、自分自身の生き方やスタイルのモデルにするようになっていったのです。テレビや映画の仮想空間で、そぅしたパーソナリティを体現していた小倉一郎森本レオについては、回を改めて、また別の機会に……。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

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出典:「赤い鳥逃げた?」(藤田敏八監督、藤田敏八・ジェームス三木脚本、1973年公開)

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