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ふたりで飲みたいバナナジュース◆山田太一「それぞれの秋」

今は「まんだよつお」を名乗っている私ですが、かつては「もぐら一郎」なるハンドルネームを名乗っていた時期がありました。もぐら一郎――もちろん、元ネタは小倉一郎にほかなりません。

最近の小倉一郎は俳句好きのタレントとして、吟行もどきの旅番組のレポーターで活躍していますが、やはり彼の真骨頂は、70年代を中心にした「気の弱い若者」を演じさせたら右に出るものがいない、その役者さんとしての存在感でしょう。私が小倉一郎に共感を得たのも、彼がそうした等身大の役をいっさいの違和感なく演じていたところでした。非力でマッチョに生きることができないできない私は、小倉一郎的な若者像に自分自身のスタイルを当てはめようとしていたのかもしれません。そうした小倉一郎の代表作といえるのが、TBS系列「人間の歌シリーズ」の一編として放映された山田太一脚本によるそれぞれの秋1973年)であることに間違いはないでしょう。

東京郊外、私鉄沿線に住む5人家族。父親の小林桂樹は仕事一筋の中間管理職。母親の我美子は家庭を守る専業主婦。長男の林隆三は体育会系のセールスマン。妹の(元祖「おさかなになったワタシ」!)は反抗期のツッパリ女子高校生。そして、物語の語り手でもある次男の小倉一郎は涙が出るくらいぴったりの、気が弱く体力にも自身がないけれど、だけど心だけは優しい大学生。この家族の、ひと秋の崩壊と再生をテーマにしたこの群像劇を見て私が何より驚いたことは、このドラマがそれまで見ていたやたら明るくてさわやかで、善人ばかりが登場するホームドラマと異なり、暗いカゲの部分もシリアスにきちんと描き、見終わったあとに不快感すらもよおすような、それでいて次回が待ち遠しくてしかたがないドラマだったことです。特に、本来はホームドラマに出てくる父親は、どっしりと構えた大黒柱的存在か(例えば「さよなら、今日は」の山村聰)、反対にしっかり者の妻の尻にしかれるタイプ(例えば「時間ですよ」の船越英二)のいずれかだったと思いますが、前者の系列に位置していたはずの小林桂樹が、病気のためとはいえ、次第に精神を病み、常軌を逸した行動に走る様は鬼気迫るものがありました。もともとは、当時大好きだった桃井かおりが出るということで見始めたこのドラマでしたが、私にとっては生涯忘れることのできないものになったのです。

このように重いテーマで、ともすれば暗くなりがちなこのドラマを救っていたのが、小倉一郎と桃井かおりのコンビでした。彼女にふられた小倉一郎がヤケになってはたらいた痴漢行為の相手が、セーラー服姿(!)のスケ番桃井かおり。夏の終わり、秋の初めに出会ったこのまったくミスマッチの二人が、ドラマの進行にあわせてすったもんだを繰り返した末、めでたくカップルになっていく過程に、私はどれほど助けられたことでしょうか。

喫茶店では必ずバナナジュースを頼む小倉一郎。久しぶりに会った二人の会話に、幼い愛の告白を感じ、私は今でもグッときてしまいます。

「バナナジュース、好きね」「あ、うん。どうしてかな。バナナは、あんまり食べないいんだけど」「私、よく一人で此処へきてさ」「うん」「バナナジュースのんでたわ」

ドラマは、最終回、冬の訪れも近いある日、二人が渋谷の西武デパートの前で待ち合わせて、走り去って行くシーンで終わります。そう、私は、この二人の姿に、いつか訪れるであろう自分と彼女の姿を重ね合わせて見ていたのです。

家族とはそれぞれ独立した個性を持つ個の集合体であり、ときには本音をさらけ出し、衝突しあうことで、より絆は強まり、たとえ崩壊はしても必ず再生していくものだ――このテーマをさらに進ませた名作「岸辺のアルバム」を山田太一がものするのは、これから5年後のことになります。

と、ここまで書いてきて愕然としました。放映から35年の年月は、私を小倉一郎の立場から、上司の不倫の尻拭いをさせられながら、スタイルのよい女性に憧れる妻子持ちの中年男の小林桂樹の立場に変えていたのです。嗚呼!!

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

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出典:『それぞれの秋』(山田太一著、1973年9月6日~12月13日放送、大和書房、1982年)

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軍国乙女の青春◆倉本聰「遠い絵本」

随筆家の岡部伊都子さんが亡くなりました。以前に一度、仕事の依頼で連絡を取り合ったことがありますが、今にして思えばその頃から体調は芳しくなかったのでしょう。やんわりとこちらからの依頼を断られました。

多くの新聞記事が取り上げていたように、岡部さんはアジア・太平洋戦争で婚約者を失っています。そして、その婚約者をすすんで戦場に送った事を、生涯、悔やみ続け、その体験から、「非戦の思想」を数多くの著作で明らかにしてきました。

しかし、あの時代に生きた少女たちのほとんどが、みずからの肉親や恋人を兵士として戦地に送り出し、立派な手柄を立ててほしいと願った事を誰が責めることができるでしょうか。戦地に送り出すということは、生きて還って来ることを半ばあきらめることであり、立派な手柄を立ててほしいとは、敵兵を一人でも多く殺してほしいと願うことにほかなりません。現代では異常とも思える教育体制や社会のありようが、人ひとりを守ることすらできない世の中にしてしまっていたのでしょう。

       「戦争へ行って。とサチコはいった

同じように、倉本聰は、テレビドラマ「遠い絵本」のなかで、恋人を戦地に送り出す娘にこう言わせています。明るく戦場へ行けといい放つ娘の軽蔑を逃れるため戦場へ行き、身も心もぼろぼろに傷ついて復員した青年。戦後はそれぞれの人生を歩み、二度と会うこともないはずだった二人でしたが、運命のいたずらで戦後三十年以上たって再開を果たします。

このセリフは、戦後、青年が書いた童話のなかの一節です。エゾシカにみたてた自分と娘が主人公のこの童話で、青年は娘の言い放った言葉の残酷さ、戦争に行くことの理不尽さ、そして人格や未来をすら変えてしまう戦争の本質を語っています。

戦争をきらい、できれば娘と逃げたいと願う青年を、卑怯だ、弱虫だとののしった女性たち。その時点において、彼女たちはけっして間違ってはいませんでした。でも、後になって、自分のその一言がなんと残酷で、悲しい言葉だったのかを知ったとき、彼女たちは生涯消えないトラウマを背負ってしまったのでしょう。被害者であると信じていた人間が、実は加害者でもあったことを知ること。戦争は、まるでコインの裏表のように、人の一生をもてあそんでしまうのです。

今宵、ひとり酒場の片隅で夜光の杯を掲げ、「君のセリフに乾杯!」

セリフの履歴

出典:『遠い絵本』(倉本聰著、1979年8月12・19日放送、『倉本聰コレクション』8所収、理論社、1983年)

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